天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

スミレと薺(なづな)(8/10)

天の川

三 挨拶句
近代以降の挨拶句については、高浜虚子の「慶弔贈答句」が有名であるが、展宏も負けず劣らず数多く詠んでいる。一般に挨拶句という場合、挨拶の対象は、人物のみならず土地にたいしても詠まれる。また人物が対象である場合もお互いが相見知っているとは限らない。つまり作品などを通して一方的に尊敬している人に捧げる句もある。
 挨拶句の鑑賞が難しくなるのは、作者と相手との関係が読者によく分らない場合であり、表面的な解釈になりがちである。
           夜昼(よるひる)峠
        天の川息をしづかに峠越え
どこか不気味な名前の峠への挨拶となっている。その峠を夜分に歩いて越えたので、「息をしづかに」となったのであろう。詞書が句の理解を助けている。
           加藤楸邨先生
        夏座敷棺は怒濤を蓋ひたる
川崎展宏は加藤楸邨に師事した。その楸邨が亡くなったのは、平成五年七月三日であった。夏季の楸邨の代表句は「隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな」。この怒濤によって楸邨を偉大な俳人として比喩し、それを柩が蓋っているとすることで、悲しみを表現した。なお、句集『怒濤』も納棺されていた。基底部(棺は怒濤を蓋ひたる)の矛盾誇張表現と干渉部(夏座敷)のイメージ付与&鮮明化とで典型的な俳句の詩形になっている。
        塗椀が都へのぼる雪を出て
展宏のエッセイによると、漆工芸の大益牧雄氏と日本画の高田泉氏との二人展開催に当たって、「貂」の仲間の大益牧雄氏に出した祝福の葉書の末尾に書かれた挨拶句であった。展示会に出品する塗椀を送りだす様を想像して、擬人法で表現したのである。
           悼 井上靖
        磨きあげし猟銃置かれ白い河床
展宏は、昭和五十九年三月十二日、二月堂の修二会に参籠した際に、井上靖を間近に見た。面識はなかったが、井上靖の小説や随筆に親しんでいて、「利休の死」や「猟銃」に感銘を受けていた。句は無季、「猟銃」の内容を踏まえているのだろう。
           長谷川櫂氏「古志」創刊
        俳諧史いま桔梗の志
俳諧史上、現代に桔梗の志を見る、ということだが、「古志」という名称に表明された長谷川櫂氏の現代俳句に向う志(「古典によく学び、時代の空気をたっぷり吸って、俳句の大道をゆく」)を、「気品」「誠実」を花言葉とする桔梗の志と讃えた祝辞になっている。
           東北の友人竹の子を掘ってよこす
        阿弖流為(あてるい)の裔の兵(つはもの)竹の子たち
黒褐色の毛が密生している何枚もの皮に包れた逞しい筍が数本、みちのくから送られてきた。阿弖流爲は平安時代初期の蝦夷の軍事指導者だが、その末裔の兵たちとして筍を見立てた。干渉部の「竹の子たち」が、基底部の上五中七を具体的にイメージする働きをしている。