病を詠む(12/12)
病みつかれみとり疲れて世の時間(とき)の流れのそとに
われら佇む 岸上 展
しろがねの針降るやうにひかり降るきさらぎ尽を君病める辺に
雨宮雅子
繭籠るときと病む軀をあざむけば駆け登りゆく冬の花火は
岡口茂子
濠を越えきて病むわれら呼ぶ娼婦あり園めぐる村みな貧しくて
伊藤 保
内ふかきいたづき見えて、うつら病む汝が白(しら)髪は
かすかにゆらぐ 岡野弘彦
病み果てし姿を見せず去りたれば永久に花野に遊べるごとし
横山未来子
年越すがひとつの願ひの父と見る霜おく庭に南天朱し
君山宇多子
伊藤保は、20世紀日本人名事典の解説によれば、昭和8年ハンセン氏病により菊池恵楓園入所、病と闘いながら作歌。斎藤茂吉、土屋文明に師事する。「アララギ」「未来」に参加。15年結婚、16年結核併発、19年右下腿切除 などとある。この歌の園とは、菊池恵楓園を指すのだろう。病人までも売春の相手にしようとする娼婦の住む貧しい村を詠んでいる。
岡野弘彦の歌では、上句表現が抽象的で実態が想像しにくい。精神を深く病んで茫洋としている様子なのだろうか。
横山未来子は病人の姿を見ることはなかったので、健康時の美しい姿のみが思い出として残ったのだ。