天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

知の詩情(1/21)

 明治期の短歌革新運動において、正岡子規は、よく知られているように、『古今集』ならびにその撰者の紀貫之を徹底して批判した。典型例が、春上・巻頭歌の有名な「年の内に春はきにけり ひととせをこぞとやいはん ことしとやいはん」であった。閏年の概念と通念との食い違いの不思議さが歌の眼目であったのに、それが否定された。以降の歌人たちは、知の働きを要求する歌を敬遠するようになった。これを破ったのが、前衛短歌の塚本邦雄である。子規の批判をものともせず、理屈っぽい歌を作った。
  きのふ即ちをととひのあすあさつてのさきをととひ茄子の
  花(はな)眞盛(まつさか)り          『泪羅變』
 塚本短歌を理解・鑑賞するには該博な知識と深い洞察力が要求される。掛け言葉や本歌取りを盛んに活用した『古今集』『新古今集』以来の「知の復権」である。塚本は知性に傾きすぎることを防ぐ手立てとして、韻律に工夫をこらし、短歌が散文になることを避けた。これを「知の詩情」の出発点とみなす。現代の短歌革新である。

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泪羅變(塚本邦雄全集)