天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

知の詩情(5/21)

 次は、助詞「は」の用法。茂吉の歌から
  めん鷄ら砂あび居たれひつそりと剃刀(かみそり)研人(とぎ)は過ぎ行きにけり                                 

                           『赤光』A
  ゆたかなる河のうへより見て過ぎむ岸の青野(あをの)は牛群れにけり

                           『遠遊』B
Aの「は」は、主語と述語とを直接につなぐ。Bの「は」は、間接的な働きであり、「青野では、牛が群れにけり」を表現している。
小池は、Bの歌の味わいを強調した。
  体育館器具室の窓に午前(ひるまへ)のしろく冷きさくらは見えし

                       『日々の思い出』A
  扉(と)のひらきカラオケはこゑあふれたり道のほとりのスナックあはれ

                          『草の庭』B
  校庭にひよろりと伸びてあるがままニセアカシアはとまる鳥もゐず

                          『滴滴集』B
  ほの白うどくだみは花つづきをり村社(そんしや)観音堂の縁の下まで

                       『時のめぐりに』B
 第三の技法は、「あはれ」(感嘆詞、形容動詞、名詞として)。茂吉の場合、全歌集での平均使用頻度は1.9%、最も頻度の高い歌集は、『赤光』と『つゆじも』の3.7%である。山川草木や身辺を詠んだ歌での「あはれ」の用法は、和歌の抒情とさほど変わりはないが、次のような例は、いかにも近代的な「あはれ」の発見といえる。
  朝さむきマルセーユにて白き霜錻(ブ)力(リキ)のうへに見えつつあはれ

                         『つゆじも』
  醫師ガッセの肖像も見つフランクフルトのものとこの二つとあはれ

                            『遍歴』
  忽ちに飯店(はんてん)出来て兵(へい)いで入る「突撃(とつげき)めし」といふ
  看板(かんばん)あはれ                『寒雲』

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斎藤茂吉『赤光』