天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

知の詩情(20/21)

事実真実を論理的に詠うことで、不思議さやユーモアが出せる方法も小池は心得ていた。
  存在と時間をめぐり思ふとき泥田の底の蓮根のあな
                   『日々の思い出』
  ひとところ冬日のたまる枯芝を猫のかたちは横ぎりゆくも
                       『静物
  芝桜をカラス飛び立てり ややありて二本の黒い足も飛び立つ
                      『滴滴集』
 『古今集』『新古今集』で工夫された掛詞、序詞、本歌取りといった和歌のレトリックは、正岡子規の革新運動により、近代短歌では影を潜めた。それを現代短歌で批評を込めるレトリックとして復活させたのが塚本邦雄であった。本歌取りについては、小池光にも多くの作品がある。以下に、第一歌集『バルサの翼』から第七歌集『時のめぐりに』まで、一例ずつあげ、本歌を示しておく。
  いくたびか落城したる雪の下ワルシャワの土ある日鮮(あたら)し
                    『バルサの翼』
塚本邦雄「暗渠の渦に花揉まれをり識らざればつねに冷えびえと鮮(あたら)しモスクワ」『装飾樂句』。二首を読み合わせると侵す側の国の首都と侵される国の首都を連想する。
  ひつそりと菖蒲湯にゐる口髭は船焼き捨てし船長である
                       『廃駅』
高柳重信「船焼き捨てし船長は泳ぐかな」『蕗子』。この前衛俳句は、よく本歌にされる。
赤きポストの傾きて立つところより残暑湧きつつとめどもあらず
                   『日々の思い出』
斎藤茂吉「赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり」『赤光』。
  柘榴の実うちおとしたる露人某そののち哭きしことうたがはず
                      『草の庭』
西東三鬼「露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す」『夜の桃』。在日の露人に悲しみを見た。
  芸能人に囲繞されゐるおほきみのへにこそ死なめかへりみはせじ
                        『静物
万葉集にある大伴家持長歌および信時潔作曲の軍歌のパロディ。強烈な皮肉。
  名もしらぬとほきしまより流れつきテレヴィジョンあまた秋の浜辺に
                      『滴滴集』
島崎藤村「椰子の実」の抒情詩に対して、その後の現代文明の無残さをあばく。
  弥縫策にすぎぬこととは知りながら花を買ひきて妻としたしむ
                   『時のめぐりに』
石川啄木「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ」『一握の砂』。「弥縫策」という客観視がほろにがい。

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『続・小池光歌集』