天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

和歌の鳥(3/9)

 次は、万葉集だけに九首(短歌は四首)詠まれている「あぢ」について。この鳥は、カモ科のトモエガモではないかと考えられている。現在は絶滅危惧種に指定されていて、目にすることはほとんどない。

  山の端にあぢ群騒き行くなれど我れは寂しゑ君にしあらねば
                  万葉集舒明天皇(あるいは)皇極天皇
  あぢ群のとをよる海に舟浮けて白玉採ると人に知らゆな
                  万葉集柿本人麻呂歌集
  あぢの住む渚沙の入江の荒礒松我を待つ子らはただ独りのみ
                  万葉集・作者未詳
  あぢの棲む須沙の入江の隠り沼のあな息づかし見ず久にして
                  万葉集・東歌

一首目: 「山にあぢ鳥たちが騒ぐ声が聞こえてくるけれど、あなた様はいらっしゃらないので、私は寂しく思います。」
二首目: 「アジガモが騒ぐ海辺に小舟を浮かべて真珠(娘)を取ろうとしているところを、人(父親)に気づかれてはいけない。」
三首目: 「アジガモが住んでいる渚沙の入江の荒磯松のように、私を待っている人はただ一人だけだ。」
四首目: 「アジガモの住む須沙の入江にある隠り沼のように、ああなんて息苦しく鬱陶しいことだろう。彼女に長らく逢えなくて。」
いずれにおいても、「あぢ」は騒々しい賑やかな環境の比喩に使われているようだ。

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あぢ