天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

短歌と「あはれ」(8/13)

塚本邦雄の場合
 塚本邦雄は、新古今集の主要選者である藤原定家を高く評価する一方で、西行を毛嫌いした。前衛短歌の旗手である塚本が、和歌の革新者であった定家を好んだ理由は明解だが、西行を嫌った理由は、西行の性情・行動と歌の内容との矛盾が気に食わなかった点であろう。良い例が、世上名高い「心なき身にもあはれは知られけり鴫たつ沢の秋の夕ぐれ」について、歌界を泳ぎ回る達人の「心なき」は甚だ胡散臭く、卑下自慢の逆説に近い、と厳しい。さらに言えば、出家しあちらこちらに庵を結び、各地に旅をした僧侶であったが、時の権力者と親交があり、歌の面では、勅撰集に載せてもらうべく選者に盛んに働きかける強い名誉欲を持っていた。つまり塚本は、後世に名を残したい欲望を持っていた西行の生き方に嫌悪感を抱いていたのだ。参考までに、塚本邦雄著『西行百首』ついて、島内景二が書いた解説「伝統と正統の戦い」から以下に引用しておこう。
 「伝統短歌への叛逆者にして、「西行嫌ひ」を公言して憚らなかった塚本が、晩年に至って、渾身の力と愛憎を込めて宿敵・西行に闘いを挑んだ快著。高名な歌を情け容赦なく切り捨てる一方、知られざる名歌に眩い光をあてた。好きでもない歌人の和歌を、百首も評釈することなど不可能である。邦雄にとって、「西行的な和歌」は自らの歌の母胎だった。(中略)『西行百首』は、西行に代表される「日本的な和歌の伝統」と最終決戦を繰り広げるために構想された。邦雄は、自らの内なる西行を斬った。伝統を止揚せねば、正統は結晶できないからである。」
 ちなみに『西行百首』で塚本が取り上げた「あはれ」歌は14首にもなる。
 塚本自身の歌に「あはれ」が現れる頻度は、子規や茂吉に比べて、はるかに低い。調査した27歌集の全9880首中80首(0.8%)に過ぎない。「あはれ」が現れる一首中の場所を分類してみると、初句に9首、中句(二、三、四句)に48首、結句に23首 となっている。以下に「あはれ」を、初句、中句、結句に使用した例をそれぞれ数首ずつあげる。
  あはれ六月 良き市民らに銭湯の藥湯槽の海松色(みるいろ)の沼

                         『水銀傳説』
  あはれ知命の命知らざれば束の間の秋銀箔のごとく満ちたり 

                        『されど遊星』
  青麥の禾(のぎ)けむりつつ皮膚うすきあはれ人間の神に養(か)はるる

                          『感幻樂』
  旱天の螢やあはれ背を割りてあふるる黒き罌粟のはなびら

                         『閑雅空間』
  白桃(はくたう)黄桃(わうたう)われにくちびるあることのあはれ九月をくもれる心

                         『天變の書』
  歯の金冠ゆるみたりけりあはれなる異變は夕映のなかにきざす

                          『詩歌變』
  立志より屈志あはれに三月の朝深藍の詰衿の首

                           『波瀾』
  晩春の移轉絢爛としてあはれ鸚鵡の籠がしんがりに蹤(つ)き 

                          『黄金律』
  春の終りのあはれつくして米櫃の中を穀象蟲の吶喊

                           『魔王』
  夜の十藥 讀みたどりつつセザンヌの耄碌をあはれとも思はず

                           『魔王』
  未生以前よりわれおもふキャヴィアとはあはれぬばたまの女郎花(をみなへし)

                        『風雅黙示録』
  五月終りて森あたたかき暗がりに脂(やに)垂りし樹樹牝よりあはれ

                          『水銀傳説』
  わが飼へるちちははのためはらみたる稗あはれ粟の泡の實あはれ

                           『感幻樂』
  突撃のきのふかあらぬ 茴(うい)香(きやう)は鬱金に枯れてあはれ初夏

                         『されど遊星』
  點鬼簿罫引き終る洗(あらひ)朱(しゆ)のはじめやや濃きことすらあはれ

                          『天變の書』
  不法駐車のロメオに爪を立ててゐる婦人警官のあはれ快感

                            『魔王』
  一粁先の白粥の香がみぞおちをくすぐる 色即是空あはれ

                            『献身』
  すめろぎはちかぢかとして遠ざかる春浅き夜のいかづちあはれ

                         『風雅黙示録』
  ダリ追悼會の長廣舌詩人その面(つら)なまこめきつつあはれ

                         『風雅黙示録』
注意すべきは、一首内に「あはれ」が離れて複数ある場合があるので、「あはれ」の歌数と「あはれ」の数とは一致しないことがある。二例をあげておく。
  わが飼へるちちははのためはらみたる稗あはれ粟の泡の實あはれ

                           『感幻樂』
  棲めば地獄と言ひつつ歸るふるさとに父あはれ如月(きさらぎ)の氷魚(ひを)あはれ

                            『歌人

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塚本邦雄西行百首』(講談社学芸文庫)