天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

あたみ桜

 かんぽの宿別館に一泊した翌日は、バスで山を下り「銀座」バス停まで行った。ここがちょうど糸川のあたみ桜のみどころになる。橋のそばにはあたみ桜の標準木がある。説明板によると「あたみ桜」は、明治4年頃にイタリア人によって熱海にもたらされたという。この品種のルーツは、沖縄原産のカンヒザクラと関西以西に自然分布するヤマザクラとの自然雑種で、日本では最も早く開花する。また、一つの枝に早期に咲く花芽と後期に開花する花芽が形成されるため、開花期間が1カ月以上と長いのが特徴。
 来宮神社側から梅園に向かう坂道の桜並木は、満開で目白たちが騒いでいたが、ここ糸川では、すでに散り始めていた。ただ枝に残っている花は色鮮やかで艶麗であった。以前にも紹介したと思うが、坪内逍遥は明治45年春、この糸川べりに別荘を新築した。次の歌の歌碑が立っている。 

                    ちかき山
         ゆきはふれれと
           常春日
        あたみのさとに
         ゆけたちわたる
              せいえう

  

     逍遥の歌碑見て写す桜かな
     ちるほどに朱色目にしむ桜かな
     糸川の浅き瀬に散る桜かな

   咲きのこるあたみ桜の朱の色は哀しきまでに美しかりき

 

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糸川にて