芭蕉開眼の前後(2/5)
本歌取り法(引用法)
いくつかの具体例をあげることから始めよう。
小萩ちれますほの小貝小盃
衣着て小貝拾はんいろの月
いずれの句も『山家集』の西行歌「汐そむるますほの小貝拾ふとて色の浜とはいうにやあらん」を踏む(本歌取り)。
月ぞしるべこなたへ入(いら)せ旅の宿
句の意味は、「明るい月は道しるべですよ。旅の方お人こちらの宿へいらっしゃい。」これは謡曲『鞍馬天狗』に、 「奥は鞍馬の山道の、花ぞしるべなる。此方へ入らせ給へや。・・・」とあるところを採ったもので、花を月に、此方を旅の宿に換えている。
氷苦く偃鼠(えんそ)が咽(のど)をうるほせり
「取っておいた水は、氷りやすくほろ苦いが、どぶ鼠のような私の咽喉を潤してくれた。」という意味で、これは『荘子』(偃鼠河ニ飲ムモ満腹ニ過ギズ)に拠っている。
髭風(ひげかぜ)ヲ吹(ふい)て暮秋(ぼしう)嘆(たん)ズルハ誰(た)ガ子ゾ
「髭を風の吹くにまかせ、暮秋を嘆いているのは、いったい誰の子なのだろう。」という意味だが、これは杜甫の七言律詩「白帝城最高楼」中の「杖藜歎世者誰子(藜を杖つき世を歎く者は誰が子ぞ)」に拠っている。
けふの今宵寝る時もなき月見哉
この句は、『伊勢物語』二十九段の歌「花にあかぬ嘆きはいつもせしかども今日のこよひに似る時はなし」をもじった(パロディ化)。
秌(あき)のいろぬかみそつぼもなかりけり
この句は、弟子の句空が持参した吉田兼好の絵に対する画賛であり、『徒然草』の「後世を思う者は糠味噌壺一つ持つな」に拠っている。
命こそ芋(いも)種(だね)よ又(また)今日の月
俚諺「命あっての物種、畑あっての芋種」の縁と新古今集の西行歌「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」に拠る。
富士の雪盧生が夢をつかせたり
句の意味は、富士の積雪の間隔は、あたかも「盧生が夢」のようだという。中国の故事「邯鄲の夢」は、邯鄲という街で盧生という名の青年が、道士呂翁から思いのままの夢を見ることのできる不思議な枕を借りて夢を見る。栄耀栄華を夢に見ようと思って眠るとたちまち富貴の人となった。夢から覚めてみると未だ黄梁が煮えていなかったという。人の栄耀栄華など一瞬のものだという教え。
世にふるもさらに宗祇のやどり哉
宗祇の句「世にふるもさらにしぐれの宿りかな」の「しぐれ」を宗祇に置き換えただけだが、実は宗祇の句には、新古今集・二条院讃岐の本歌「世に経るは苦しきものを槙の屋にやすくも過ぐる初時雨かな」があり、芭蕉は重層的な読みを要求しているのである。