天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

芭蕉開眼の前後(5/5)

芭蕉開眼の時期
 芭蕉の開眼については、長谷川櫂『古池に蛙は飛びこんだか』 (中公文庫)から、以下に引用しよう。


「    古池や蛙飛びこむ水の音  芭蕉
ある春の日、芭蕉は蛙が水に飛び込む音を聞いて古池を思い浮かべた。すなわち、古池の句の「蛙飛びこむ水の音」は蛙が水に飛び込む現実の音であるが、「古池」はどこかにある現実の音でなく芭蕉の心の中に現れた想像の古池である。
 とすると、この句は「古池に蛙が飛びこんで水の音がした」という意味ではなく、「蛙が飛びこむ水の音を聞いて心の中に古池の幻が浮かんだ」という句になる。 
 さて、このとき、芭蕉は座禅を組む人が肩に警策(きょうさく)を受けてはっと眠気が覚めるように、蛙が飛びこむ水の音を聞いて心の世界を呼び覚まされた。いいかえると、一つの音が心の世界を開いたということになる。
 この心の世界が開けたこと、これこそが「蕉風開眼」といわれるものの実態ではなかったろうか。それは貞享三年(1686年)春のことであった。」


 作られた時期に注目したい。1686年を前章のグラフで見ると、本歌取り句の数が最大になる時期であり、それ以降は急減する。まさに新しい作法(蕉風)が生まれた時期であることを立証している。芭蕉が逝去したのは、1694年なので、開眼後8年しか生きていなかったことになる。この句の後に、すなわち開眼後に作られた有名句を次にいくつかあげておく。「おくのほそ道」の中の作に多い。

     雲雀より空にやすらふ峠哉
     若葉して御めの雫ぬぐはばや
     蛸壺やはかなき夢を夏の月
     行春や鳥啼魚の目は泪
     木啄も庵はやぶらず夏木立
     風流の初やおくの田植うた
     夏草や兵共がゆめの跡
     閑さや岩にしみ入蝉の声
     荒海や佐渡によこたふ天河
     石山の石より白し秋の風
     木のもとに汁も鱠も桜かな
     先たのむ椎の木も有夏木立
     病鳫の夜さむに落て旅ね哉
     うき我をさびしがらせよかんこどり
     むめがかにのつと日の出る山路かな
     菊の香やならには古き仏達
     此道や行人なしに秋の暮
     旅に病で夢は枯野をかけ廻る

 

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長谷川櫂『古池に蛙は飛びこんだか』 (中公文庫)