茂吉とうなぎ
斉藤茂吉のうなぎ好きはつとに有名だが、いったい歌にはどれくらい詠んだのだろうか? 塚本邦雄が、『茂吉秀歌[白桃][暁紅][のぼり路]』において13首をあげ、茂吉に鰻のことを語らせたら優に一巻の書を成し得たことだろうと、解説している。
かくいう筆者も鰻の蒲焼が大好きなので、茂吉の全歌集について調べてみることにした。亡き父が昔買い揃えたあの分厚い『斉藤茂吉全集』が、母の家にあるはずだが、出かけるのが面倒。古本をインターネットで買い集めることにした。高価な稀覯本は必要ないので、できるだけ廉価な本を購入したが、さすがに古びてシミや汚れがひどく文字がかすれてよく読めない本もある。
鰻を詠んだ歌は全歌集で24首が見つかった。最もよく現れるのは『つきかげ』で、7首。茂吉は68~72歳で晩年。次が『ともしび』で5首。茂吉は45~48歳で力に充ちていた頃。先の塚本の本にあげていない珍しい例を次に紹介しよう。
この夕べ鯛の刺身とナイル河の鰻食はしむ日本の船は
『つゆじも』
汽車の窓に顔を押しつけ見て過ぐる鰻やしなふ水親しかり
『石泉』
大隈の串良の川に楽しみし鰻を食ひてわれは立ち行く
『のぼり路』
いずれも旅にあって詠んだ鰻。一首目は、大正十年、茂吉が欧州留学へ向かう船上のこと。12月9日、地中海にあった。二首目は、昭和6年4月17日の大阪行でのこと。そして三首目は、昭和14年の九州旅行のこと。茂吉の食欲は、鰻に代表されるだけでない。米、鮎、蕨、味噌汁、桃など実に押戴いて食べ、歌に詠んでいる。同世代の歌人と明らかに違っている。