一茶俳句と古典(2/3)
■前書に詩経の詩篇名をもってきたものがある。特に享和期の作品に目立つ。この時期
の工夫と思われる。寛政十二年から享和初め頃、『百人一首』による古歌の学習や『詩経』の講釈聴聞、『易経』の独学など懸命の精進をしたという。『詩経』や『易経』の俳訳に熱心に取り組んだ。
揚之水(やうしすい)
さし汐や茄子(なすび)の馬の流れよる
*揚之水は詩経王風の詩篇名。句は、辺境に在って家郷に帰らんと願う兵馬を
茄子の馬に転化。
杕(てい)杜(と)(二句)
夕桜家ある人はとくかへる
手招きは人の父也秋の暮
*杕杜は詩経唐風の詩篇名。晋の昭公が同族と親和せず、骨肉離散し、孤立無援
となったのを諷刺する詩。
黄鳥(くわうてう)
見かぎりし故郷の山の桜かな
*黄鳥は、詩経小雅の詩篇名。宣王の末期、民心離反し、他国から来た民も
みな本国に帰ろうとする詩。
ここに挙げた例は少数にすぎないが、現代人にとっては、詩経の詩篇を学ぶ機会などほとんど無いので、一茶の句を読んだだけでは、まったく思いもよらない。時代の教養の違いが大きいのである。