天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

一茶俳句と古典(2/3)

前書に詩経詩篇名をもってきたものがある。特に享和期の作品に目立つ。この時期
の工夫と思われる。寛政十二年から享和初め頃、『百人一首』による古歌の学習や『詩経』の講釈聴聞、『易経』の独学など懸命の精進をしたという。『詩経』や『易経』の俳訳に熱心に取り組んだ。

          揚之水(やうしすい)
     さし汐や茄子(なすび)の馬の流れよる
   *揚之水は詩経王風の詩篇名。句は、辺境に在って家郷に帰らんと願う兵馬を

    茄子の馬に転化。


          杕(てい)杜(と)(二句)
     夕桜家ある人はとくかへる
     手招きは人の父也秋の暮
   *杕杜は詩経唐風の詩篇名。晋の昭公が同族と親和せず、骨肉離散し、孤立無援

    となったのを諷刺する詩。


          黄鳥(くわうてう)
     見かぎりし故郷の山の桜かな
   *黄鳥は、詩経小雅の詩篇名。宣王の末期、民心離反し、他国から来た民も

    みな本国に帰ろうとする詩。

 ここに挙げた例は少数にすぎないが、現代人にとっては、詩経詩篇を学ぶ機会などほとんど無いので、一茶の句を読んだだけでは、まったく思いもよらない。時代の教養の違いが大きいのである。          

f:id:amanokakeru:20190316093034j:plain

中公新書