喩に沈む季節(1/8)
はじめに、この評論で分析の対象とした歌集について紹介しておく。和歌の時代からは、洗練された部立を確立し、当時の先進的感覚で勅撰された『新古今和歌集』を、対して現代短歌は、二十一名の若手歌人のアンソロジーである『現代短歌最前線 上・下』を、取上げる。本文の歌は、特に出典を断らない限り、これらからの引用である。
1.歌は世に連れ
当然のことながら時代が経つに従って人類の文化、科学技術、思想の進展により認識のレベルと幅が広がった。倫理感や自我表現の基準、羞恥心までが大きく変った。日本の詩歌の形式は、長歌、短歌、旋頭歌、仏足石歌、連歌、連句、俳諧、俳句と栄枯盛衰があり、現在普及している形式は、短歌と俳句である。中でも長寿命を保っているのは、唯一短歌だけであるが、その技法もテーマも随分と豊富になっている。和歌の時代の禁忌の作法もどんどん取り払われて、今や三十一音を基本とする緩い制約のみで、自由な歌い方がまかり通っている。テーマについても、季節感を重んじるなら俳句を選ぶという道が、明治以降明確になった。俳句は、定義として季語を持つことを建前とするが、短歌は季語の制約から自由である。古今集や新古今集におけるほど、現代短歌では四季を重要視していない。
しかし、現代短歌にも季節を歌った秀歌には、新古今集とは全く違った感覚のものがあり決して劣ってはいない。次に揚げる四組の歌をそれぞれ読み比べてみると、新古今集の歌が、今では退屈で古臭く感じる。
①さくら咲く遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬ色かな
後鳥羽天皇(春歌)
①さくら咲くその花影の水に研ぐ夢やはらかし朝の斧は
前 登志夫『霊異記』
②さくら花夢かうつつか白雲のたえてつねなきみねの春かぜ
藤原家隆(春歌)
②さくらばな陽に泡立つを目守りゐるこの冥き遊星に人と生まれて
山中智恵子『みずかありなむ』
③閨のうへにかたえ片枝さしおほひそとも外面なる葉廣柏に霰降るなり
能因法師(冬歌)
③数寄屋橋ソニービルディング屋上に青きさんぐわつのみぞれ降りゐき
小池 光『廃駅』
④梅の花こずゑをなべてふく風にそらさへ匂ふ春のあけぼの