5.季節感が薄れる詠み方
短歌の中に季語が入っていてもレトリックによって季節感が弱まってしまう場合がいくらでも出てくる。
夢や思い出の中の季語、絵葉書や絵画の中の季語、外国語への言替え、会話・引用語の中の季語、部分に適用された季語、希望の中の季語、かな文字表記の季語、音楽の中の季語、疑問形の文章に出る季語 等々。例歌をあげよう。他にもたくさんある。
「今度また連れに来るから月の夜いつもの場所で待っていなさい」
大田美和
「睡蓮」を描きし西洋花を組むひかりはほそきしらほねならむ
米川千嘉子
鶏頭のまぼろし見ゆと告ぐるとき静かなる火をわれは継ぐべし
坂井修一
ぼくんちに言語警察がやってくるポンポンダリアって言ったばっかりに
加藤治郎
次に一首の内に複数の季語が同居している歌は季節感をそこねる。現代短歌の場合、季節感が無いものが目立つ。
ネオ・ナチの青年たちは寒いかな鰻の肝を串にさしつつ
加藤治郎
白鳥とくちなは愛しあふこゑを聴きたるのちにみづは滅びむ
水原紫苑
新古今集にも多くの例があるが表現の上からも部立の上からも季節が明らかである。
山ふかみ春とも知らぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水
春歌(式子内親王)
有明のつれなく見えし月は出でぬ山郭公待つ夜ながらに
夏歌(藤原良経)