時を詠む(1/5)
時・刻は月日の移り行きや時間をさす。「光陰」ともいう。時候や季節をいうことも。
香具山と耳成山とあひし時立ちて見に来し印南国原
万葉集・天智天皇
日並皇子(ひなみしのみこ)の命(みこと)の馬並(な)めて御猟(みかり)
立たしし時は来向ふ 万葉集・柿本人麿
時はしも何時(いつ)もあらむを情(こころ)いたく去(い)にし吾妹(わぎも)か
移り行く時見る毎に心いたく昔の人し思ほゆるかも
万葉集・大伴家持
朝井堤(あさゐで)に来鳴く貌(かほ)鳥(とり)汝だにも君に恋ふれや
時終へず鳴く 万葉集・作者未詳
鶯の木伝(こつた)ふ梅のうつろへば桜の花の時片(かた)設(ま)けぬ
万葉集・作者未詳
妹に逢ふ時片待つとひさかたの天の河原に月ぞ経にける
万葉集・作者未詳
信濃なる須賀(すが)の荒野(あらの)にほととぎす鳴く声聞けば時すぎにけり
万葉集・東歌
一首目: 「香具山と耳成山が争ったとき、それを止めようと阿菩(あぼ)の大神が、印南国原まで来た。」
阿菩(あぼ)の大神とは、出雲系神話の神。大和三山の妻争い神話で、仲裁に出雲から大和へ行く途中、いさかいが終わったことを聞き、播磨はりま国揖保いいぼ郡上岡の里に鎮座したという。「播磨国風土記」に見える。 (「大辞林」から)
二首目: 「日並皇子の命が馬を連ねて出猟なさったあの暁の時刻が、今日もやって来る。」
日並皇子は草壁皇子のこと。
三首目: 大伴家持が亡くなった妻を思って詠んだ挽歌。意味は「死ぬべき時は他に何時でもあるだろうに私の心を痛ませて亡くなった妻よ。幼い子供まで残して。」
四首目: 「移り変わってゆく時世のありさまを見るたびに、心も痛くなるばかりに昔の人が思われてない。」
五首目: 朝井堤は、朝の堰。貌鳥はカッコウのこととする説あり。一首の意味は、
「朝の堰に来て鳴く貌鳥よ。お前までもがあなたに恋するのだろうか。ひっきりなしに鳴くことよ。」
六首目: 「片設く」とは、まさにその時になろうとする、という意味。従って一首は
「鶯が木から木へと飛び伝う梅の花が散り始めると、桜の花が咲く時が待たれる。」
七首目: 「妻に逢う、ただそれだけをひたすら待っていると、天の川原を月が渡っていくではないか。」 「ひさかたの」は、「天」にかかる枕詞。
八首目: 「信濃の須賀の荒野でほととぎすの鳴き声を聞くと、あれから時は経ってしまったものだと思う。」