天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

時を詠む(2/5)

  いつはとは時はわかねど秋の夜ぞ物思ふ事のかぎりなりける
                   古今集・読人しらず
  かぎりなき君がためにと折る花は時しもわかぬものにぞありける
                   古今集・読人しらず
  時すぎてかれゆく小野の浅茅(あさぢ)にはいまはおもひぞたえず燃えける
                     古今集・小町姉
  またもこむ時ぞと思へど頼まれぬ我が身にしあれば惜しき花かな
                     後撰集紀貫之
  時わかずふれる雪かと見るまでに垣根もたわにさけるうの花
                   後撰集・読人しらず
  時によりすぐれば民のなげきなり八大竜王雨やめたまへ
                     金槐集・源実朝
  時しもあれたのむの雁の別れさへ花散るころのみよしのの里
                    新古今集源具親

 一首目: 「いつといって物思いをしない季節はないけれど、秋の夜こそ物思いの極みであることだ。」
 二首目: 「 長寿限りないあなたのためにと折る花は、季節など関係なしに咲く花でした。」
 三首目: 「盛りの時が過ぎて、枯れてゆく野の浅茅には、今は野火の火が絶えず燃えている。」
これが直訳だが、真意は「恋の盛りの幸せな時が過ぎて、あなたから疎まれていても、私には恋しく思う胸の火が熱く燃えています。」という切ない気持を詠んだもの。作者は、小野小町の姉。
 四首目: 「春はまた来ると思っても 当てにならぬ我が身ゆえ 咲く花が名残り惜しく思われる。」生きて次の春を迎えられるか分からないという心もとない感情を詠ったものだが、『和漢朗詠集』に、「またも来む時ぞと思へど 頼まれぬ我が身にしあれば 惜しくもあるかな」というそっくりな歌がある。
 源実朝の歌は、有名。
 源具親の歌: 「時しもあれ」は、時節というものがあろうに、の意味。「たのむの雁」は、 田の面の雁。「頼む」を掛けている。一首の意味は、「いつまで田の面に留まってくれるかと頼みとしていた雁も、とうとう飛び立ち、別れの時となったが、よりによって、花が散る頃の吉野の里でその時を迎えようとは。」

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卯の花