天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

俳句を詞書とする短歌(7/9)

藤原龍一郎の場合
 岡井の例でも分るように、詞書にとる俳句には、他の俳人のものをもってくる場合と、自身の作品をもってくる場合とある。前者の徹底した例が藤原龍一郎の歌集にある。『楽園』(2006年刊)では、三橋敏雄の十句集から、全部で百句取り上げて、それぞれに短歌を当てているし、『ジャダ』(2009年刊)においては、林田紀音夫、戸板康二赤尾兜子 等の句集からとって二十作品にしている。以下では、それぞれから作品例を取りあげて、俳句と短歌の交響をみてゆく。
『楽園』の鎮魂歌―三橋敏雄句集『眞神』から三作品を。
  昭和衰へ馬の音する夕かな   三橋敏雄
  衰弱ののちの頽廃そののちのノイズは玉音放送ナルゾ!
俳句を、敗戦間近の昭和日本の情況に思いを馳せたと読むか東京オリンピック開催時の高度成長期に入った昭和日本の行末を危ぶんでいると読むか。歌の下句からは前者と解釈したように感じられる。
  冬帽や若き戦場埋れたり    三橋敏雄
  戦場に数限りなき冬帽子飛び交いルサンチマンを放つよ
俳句は酷寒の地で戦死した青年たちをはるかに悼んでいるが、短歌はその戦場に立ち帰り、怨恨・憎悪・嫉妬に駆られて戦う無数の敵味方の惨状をイメージする。
  絶滅のかの狼を連れ歩く    三橋敏雄
  ジェノサイドこそ至福なれ狼もコロポックルも貴種流離せよ
日本狼は明治三十八年に東吉野で捕えられた雄を最後に全滅したという。俳句はそんな狼に心を寄せて蘇りを夢想している。短歌では滅んだ原因が集団殺戮にあるとし、それをむしろ至福と捉え、アイヌ伝説のコロポックルと共に貴種流離譚にあるように復活せよと呼びかけている。ちなみに東吉野村の大又川にかかる七滝八壷の入口に句碑がある。

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『楽園』(角川書店