天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

俳句を詞書とする短歌(8/9)

『ジャダ』―鬱王― から四作品を。
藤原によれば、「鬱王」一連は、赤尾兜子の俳句作品に対する反歌であるという。つまり短歌の部分は、俳句の意を反復・補足し、または要約する働きをする。更には、兜子への心寄せであり、俳句作品へのオマージュでもある。なお、藤原は若い頃に赤尾兜子に師事して前衛俳句を学んでおり、藤原月彦の名で『貴腐』という句集を出している。
  雲とも素ともならぬもずくを煮る男   兜子
  詩に痩せる男であれば瓦斯の火の蒼さも虚実皮膜と思え
俳句は、どうにもならないテーマに頑なに拘っている作家の姿を象徴しているようだ。短歌の方の虚実皮膜とは、芸は実と虚の境の微妙なところにあること。事実と虚構との微妙な境界に芸術の真実があるとする論。詩作に痩せるほどの努力をしている男であるので、瓦斯の火の蒼さにも虚実皮膜を思え、と激励している。
  去来忌の抱きて小さき膝がしら     兜子
  蛇の屍と虚像の影と孤立する詩魂に拠りて韻文の謎
嵯峨野落柿舎の裏の「去来」とだけ彫られた30センチほどの小さな石が、去来の墓である。俳句の「抱きて小さき膝がしら」は、兜子自身の姿である。歌の方は、『蛇』、『虚像』という句集を出した兜子の詩魂を讃え、その韻文の不思議さに言及している。
  死顔に捧ぐ寒花の赤を憎むわれ     兜子
  若き獅子死に急ぎたり前衛の虚妄を撃ちて生き急ぎたり
短歌は、死顔の主を、前衛の虚妄を果敢に突いて若死にした作家に想定したもの。三十一歳で1973年12月16日に急逝した中谷寛章のことではないか。赤尾兜子の元で「渦」の編集長をしていた。兜子の句の意は自ずと明らか。
  大雷雨鬱王と會うあさの夢       兜子
  鬱王に魅せられしゆえ恍惚と苦痛と俳句思う泪と
兜子は鬱病に苦しみ自死したといわれている。それ故か兜子の忌日を鬱王忌と呼ぶ。俳句は、兜子の或る日の情景であり、歌はそうした俳人の心境と生活を思い遣っている。

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藤原龍一郎歌集(砂子屋書房