天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

食う・飲むを詠む(3/6)

  水(みづ)芥子(からし)冬のしげりを食ひ尽しのどかに次の伸びゆくを待つ
                       土屋文明
  道に倒れし馬なりしことは後に知りき幼くて食ひしにくといふもの
                       土屋文明
  何をして食ふかと村人の疑ふまでとどまりし彼の谷を忘れず
                       土屋文明
  何が食ひたい言はれて答容易ならず食ひたいと思ふ物がないのだ
                       土屋文明
  吾(われ)と嬬(つま)は寒き朝あけ飯くふと火鉢のふちに卵わりをり
                      結城哀草果
  その手もて飯食ふことの悲しさを知りにたりける少年職工
                       窪田空穂
  新年(にひどし)の新日(にひひ)来にけり長(なが)寝(ね)よりさめてぞ

  一人酒瓶(みか)の酒(みき)のむ       尾山篤二郎

 

 土屋文明は、群馬県群馬郡上郊村(現・高崎市)の貧しい農家に生まれた。祖父は賭博で身を持ち崩し、強盗団に身を投じたあげく北海道で獄死したという。村人たちの冷たい目があり、幼い文明にとって、故郷の村は耐えがたい環境であった。旧制高崎中学(現・群馬県立高崎高等学校)卒業後、伊藤左千夫の世話により、第一高等学校文科を経て東京帝国大学(現・東京大学)に進学することができた。上の五首には、文明の食環境が現れている。
 結城哀草果は、山形県山形市菅沢の出身。『アララギ』に入会し、斎藤茂吉に師事。東北の農村生活を歌い、随筆にも書いた。誠実な農民歌人として知られる。斎藤茂吉記念館初代館長。
 尾山篤二郎は、石川県金沢市出身。金沢商業学校の学生時に結核に感染し、右足の切断を余儀なくされる。金沢商業学校は中退した。窪田空穂を慕い、のちには窪田の主宰する『国民文学』の同人にもなっている。前田夕暮若山牧水らとも知己になった。

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火鉢