食う・飲むを詠む(6/6)
せき水に又衣手は濡れにけりふたむすびだにのまぬ心に
増 基
あさいでにきびの豊(とよ)御酒(みき)のみかへしいはじとすれど
しひてかなしき 源 俊頼
秋の雨寂しき今日を友もなし海苔を火にあてて独りこそ飲め
大隈言道
夜の炉べに蜜をのみつつ眼つむれば幾百幾千の蜂と花々
結城哀草果
生ける魚生きしがままに呑みたれば白鳥のうつくしき咽喉うごきたり
真鍋美恵子
煮えたぎつ湯玉のごときものを嚥(の)みおもむろにわれ生甲斐つかむ
坪野哲久
砂時計買い来つ砂の落ちざまのいさぎよき友飲み明かさんよ
佐佐木幸綱
増基(ぞうき)(増基法師)は、平安時代の僧・歌人(中古三十六歌仙の一人)。熊野や遠江国を旅して、風物を無常観とともに描いた詞書は後世の紀行文の先駆をなす、とされる。
源俊頼の歌: 「吉備の豊御酒」は、黍の穂果で醸した和酒。一夜が明けて恋人のもとを去ろうとした時の情景だろうか。去り際にもう一度酒をあおって、わかれの言葉を言わないようにしようとしたことが、とても悲しい。
真鍋美恵子の歌: 上句は、一瞬作者の動作かと驚くが、実は白鳥が生きた魚を丸のみしたのだ。
坪野哲久の歌: これも上句がおどろおどろしい。具体的に何を嚥下したのか不明。多分、ある決意のようなものの比喩であろう。
佐佐木幸綱の歌: 「砂の落ちざまの」は、「いさぎよき」を導くための序詞であろう。
「今日は砂時計を買って来た。さあ友よ、飲み明かそうか。」砂時計と飲み明かすことを結びつけるための工夫であったか。