天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

天地(あめつち)は動くか (2/7)

短歌の力
 関東大震災の折、情況を詠むのに適した詩形について考えた歌人がいた。釈迢空北原白秋である。釈迢空は、短歌様式の詠嘆をはがゆく感じて、短歌に近い別の四行の小曲に表そうとした。歌集『海やまのあひだ』(大正一四年五月、改造社刊)のあとがきに、次のように記している。
「私は、地震直後のすさみきつた心で、町々を歩きながら、滑らかな拍子に寄せられない感動を表すものとしての―出来るだけ、歌に近い形を持ちながら、―歌の行きつくべきものを考へた。さうして、四句詩形を以てする發想に考へついた。・・・」
しかし彼は、思想の休止と調子の休止との在り方について迷い、結局、震災の情況を彼の言う新形式の歌に詠まなかった。多行書きも歌集『春のことぶれ』だけにとどまり、句読点と一字空けを多用する一行書きに落ち着いた。
 北原白秋は、感動の種類によって最適な詩形を使うべきという考え方を持っていた。小田原の「木莬(ずく)の家」にいた時地震に遭い、その体験を短歌と俳句で表現した。短歌で被災時の動揺を、俳句で震災後の鎮静化を詠む。両者合せて鑑賞すると白秋の意図が判る。俳句は俳人・臼田亜浪が驚いたほどの出来ばえであり、白秋調の芽生が感じられるという。しかし白秋はこの後、俳句から去った。
 彼らとは反対に関東大震災の在り様を徹底的に短歌で表現した歌人たちがいた。窪田空穂であり、アララギの島木赤彦や高田浪吉などである。明治以前の和歌の時代にも大地震津波の災害はあったが、和歌に詠まれることはほとんどなかったので、彼らの作品は短歌史上の一大成果となった。
 今回の東日本大震災に際しては、俳人長谷川櫂が、専門外の短歌で詠んだ。俳句より十四音多い分、記録や描写ができるというのが理由であった。『震災歌集』は、二0一一年三月一一日午後に起きた東日本大震災以降の十二日間の記録として、四月二五日に中央公論新社から発行された。この間髪を容れない公開が世間の注目を引くところとなった。
 ちなみに福島在住の詩人・和合亮一は、被災下にあって、パソコンからネットにツイッター(一回分は一四0字以内)で自分の思いを「詩の礫」として連日リアルタイムで発信し続けた。そして短期間に数千人のフォロワーを獲得した。

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関東大震災の記録 (大日本雄辯會講談社編纂)