天地(あめつち)は動くか (6/7)
『震災歌集』について
この長谷川櫂の歌集には、全部で119首の短歌がある。作品全体に関わる特徴をあげると、旧仮名・文語体が基本。韻律については、正調(五七五七七)は30首にすぎず、他の89首は破調で75%もある。それも全て増音である。彼のやむにやまれぬ気持は三十一文字でも表現しきれなかったことがよくわかる。増音の歌の分布は、初句=24首、二句目=25首、三句目=15首、四句目=47首、結句=41首 となっている。短歌のリズムがよく保たれていることが判る。つまり四句目増音は自由度大、結句の増音で抒情の抑止。高度の技術を要する三句目増音は一番少ない。ここに破調の歌でも読みにくくは無く読者が受け入れやすい理由がある。
長谷川櫂が東日本大震災に立ち向かう表現形式として、俳句でなく短歌を選択した理由は、その「寄物陳思」の機能を信頼したからである。「物」には、花鳥風月、人、天然現象、事件 などを含める。「思」には喜怒哀楽の他に批判、批評を含める。一首全体が「物」の記述で「思」が入っていない場合が、写生・情景描写になる。歌集には21首(17.6%)ある。ところで、次のような歌がある。
(1)天地も鬼神も歌はうごかすと貫之書きし『古今集』仮名序
(2)「一日に千頭絞り殺さん」といふイザナミに「千五百の産屋立てむ」
といふイザナギの言葉
(1)には紀貫之の『古今集』仮名序が、(2)には『古事記』の一節が、詞書としてついているのだが、いずれもその内容を短歌形式にしたものにすぎない。前者ではやまと歌の力を、後者では生が死に勝るという死生観を、馴染みのない一般読者むけに強調したのであろうか。むしろ詞書が無い方が良いと思われる。