天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

俳句は取合せ (2/10)

二物衝撃
 取合せ(配合)では、一句の中で、二つの事物(主に、季語と別のモノ・コト)を取り合わせることで、両者に相乗効果を発揮させて、読者を感動に導く。読者にとって衝撃が大きいほど感動も大きくなる。
 一句の構造を取合せの観点から分解すると、次のようになる。
① 季語  ② 取合せ語  ③ 連結語(とりはやし)
具体例
     さみだれをあつめて早し最上川  芭蕉
についてみると、
① 季語=さみだれ
② 取合せ語=最上川
③ 連結語(とりはやし)=あつめて早し
ということになる。では衝撃の度合いをどのように定義するか? 実はこれが厄介である。季語と取合せ語との距離感(離れ具合)や連結語(とりはやし)の効果度によるのだが、これを客観的に定量化することは、文藝の評価が読者の感性(主観)や教養によるだけに、非常に難しい。「さみだれ」を詠んだ別の句と比較してみよう。
     さみだれや大河を前に家二軒   蕪村
① 季語=さみだれ
② 取合せ語=家二軒
③ 連結語(とりはやし)=大河を前に
 季語と取合せ語との距離感の点では、芭蕉句では近い(雨と川の関係)が、蕪村句では少し遠い(雨と家の関係)。連結語(とりはやし)の点から見ても、芭蕉句の「あつめて早し」は、さみだれ最上川との関係を直接に表現しているので、読者はすぐに了解する。驚きは少ない。
更に言えば、最上川でなくても他の川に置き換えられるのでは、との感想もでてこよう。
 対して蕪村句では、「大河を前に家二軒」の情景は、簡単にイメージできるが、それを「さみだれ」と関係づけるところで驚きが大きくなる。さみだれによる大河が家二軒を呑み込んでしまうという想像が湧いてくるからである。衝撃度の点で、芭蕉句よりも蕪村句の方が、はるかに大きい、と評価できる。衝撃度で優劣をつけるなら、蕪村句が優れていることになる。ただ、両句の比較については、「おわり」の章で再考することにした。
 芭蕉や蕪村は、常日頃どのような取合せ(配合)句を詠んでいたのであろう。以下では、それぞれの「さみだれ、さつきあめ(五月雨)」の作品に絞って、傾向を見てゆこう。

f:id:amanokakeru:20190424000507j:plain
f:id:amanokakeru:20190424000533j:plain
最上川、句碑と芭蕉曽良の像