天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

俳句は取合せ(6/10)

蕪村の「さみだれ」28句(続)
  さみだれや鳥羽の小路(こみち)を人の行(ゆく)
季語=さみだれ、取合せ語=鳥羽の小路、連結語(とりはやし)=人の行
ここに出て来る人は、旅人ではなく、田んぼを見回る百姓であろう。風雅集の歌「あやめ草引く人もなし山城の鳥羽に波こす五月雨のころ」を踏むという。
  さみだれに見えずなりぬる径(こみち)哉
季語=さみだれ、取合せ語=径、連結語(とりはやし)=見えずなりぬる
句意は明解。切れ字「哉」が喪失感を誘うか。
  五月雨や滄(あを)海を衝(つく)濁水(にごりみず)
季語=五月雨、取合せ語=濁水、連結語(とりはやし)=滄海を衝
五月雨をあつめた濁流が青い海に侵入している様子。漢字表記が荒々しさを演出している。
  さみだれや水に銭ふむ渉(わた)し舟
季語=さみだれ、取合せ語=渉(わた)し舟、連結語(とりはやし)=水に銭ふむ
銭ふむとは、料金を決める、という意味。値踏みに通じる。舟の渡し賃を増水の加減によって決めるのである。五月雨の時期は、川が増水するので、渡し賃は高くなる。
  濁江(にごりえ)に鵜の玉のをや五月雨
季語=五月雨、取合せ語=濁江、連結語(とりはやし)=鵜の玉のを
濁江は、水の濁った河口。「玉のを」とは命のこと。「五月雨に濁って増水した河口にいる鵜の命が危うく見える。」という。
  摂(かかげ)あえぬはだし詣(まひ)りや皐(さつき)雨
季語=皐雨、取合せ語=はだし詣り、連結語(とりはやし)=摂あえぬ
「摂あえぬ」とは、裾を持ち上げきれない、こと。「はだし詣り」は、神仏に願をかけるのに、裸足で参拝すること。句は、裾の濡れるのもかまわないで、祈願のために裸足詣りする皐雨の情景を詠む。
  さみだれや鵜さへ見えなき淀桂
季語=さみだれ、取合せ語=淀桂、連結語(とりはやし)=鵜さへ見えなき
淀桂は、魚渡川と桂川の合流点。五月雨の増水のために、この合流点には鵜の姿さえ見えない、という。
  皐雨(さみだれ)や貴布祢(きぶね)の社燈消(きゆ)る時
季語=皐雨、取合せ語=貴布祢の社燈、連結語(とりはやし)=消る時
貴布祢(貴船)が舞台の謡曲「鉄輪」を背景にしている、とのこと。鬼女が現れる情景か。
  小田原で合羽(かつぱ)買(かう)たり五月雨
季語=五月雨、取合せ語=小田原、連結語(とりはやし)=合羽買たり
小田原なら提灯と思うが、五月雨ともなれば合羽を買うことになる。

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貴船の社灯