天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

俳句は取合せ(10/10)

おわりに
 「二物衝撃」の章で述べた芭蕉と蕪村の五月雨の句の比較について再考しておこう。
芭蕉句は、俳句紀行「奥の細道」の最上川の条に出てくるものであった。句の前に書かれた文章によって周辺の情景が具体的に描写されるので、俳句の情緒が一段と心に浸みる。独立した俳句とすると、先に触れたように、最上川が動く、即ち他の川に差し替えられる。よって文章と一体として鑑賞されるべき作品なのである。この一句を読むたびに紀行文に書かれた情景が思い浮かぶ、という効果を狙った文藝と言える。芭蕉の俳句作品には、紀行文の中で鑑賞すべきものが多々あるので、注意を要する。
 一方、蕪村句は、一句独立した作品として鑑賞してよい。それで先に述べたように読者に衝撃を与える力をもっている。芭蕉と違って蕪村は、「総常両毛奥羽など遊歴せしかども紀行なるものを作らず。またその地に関する俳句も多からず。」(正岡子規俳人蕪村」)であった。
 俳句の基本作法として取合せにつき分析してみたが、連結語(とりはやし)をいかに工夫するかが究極のポイントになることが分った。取り合せる二つの事物(一つは季語・季題)の選択と連結語(とりはやし)の措辞に心をくだくことになるのである。 

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『おくのほそ道』 岩波文庫