天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

平安・鎌倉期の僧侶歌人(1/17)

はじめに
 花鳥風月の自然環境に生きる人間の精神世界を詠んだ古典和歌の完成は、勅撰和歌集の終焉により示された、とも考えられる。その完成度を概観する手立ては、いくつもある。本格的には、万葉集を加えた全勅撰和歌集を分析する方法。もっと手軽には、藤原定家小倉百人一首による方法。これは周知のように、飛鳥時代天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、100人の歌人の優れた和歌を一首ずつ選び出したものである。
 本文では、さらに絞って僧侶の身分にして優れた和歌を詠んだ歌人たちを取り上げてみたい。
 平安・鎌倉期には、歌人として有名な僧侶が多い。戦に明け暮れ、政権交代も頻繁な不安定な時代にあって、現実世界から隠遁し僧侶として一生を送ることは、有力貴族や豪族の子弟にとって、理想的でもあった。西行のように仏教の修行を和歌の修行と同一視した場合が典型的であろう。彼らは古典和歌(短歌)を完成させる環境にあったといっても過言ではない。
 こうした僧侶歌人たちが詠んだ和歌から、彼らの生活感、旅の感懐、人生観 などにつき読み取ってみたい。なお、世俗を解脱した僧侶の立場という観点から、相聞歌・恋歌は省略した。
生没年が未詳な人達もいるが、一応、年代順にたどっていこう。とりあげる僧侶は百人一首に載っている十二人に頓阿法師を加えて十三人である。十二人は「坊主めくり」という遊びで、お馴染みの人も多いはず。作品の下の*印のところは注釈である。

 古典和歌(短歌)の完成度を知ることによって、近現代の短歌が目指したもの、更には将来の短歌に残された課題が明確になると信ずる次第である。

f:id:amanokakeru:20190503000235j:plain
f:id:amanokakeru:20190503000250j:plain
百人一首    坊主めくり