天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

平安・鎌倉期の僧侶歌人(8/17)

道因 (寛治四(1090)~没年未詳)
 平安時代後期の貴族(藤原北家高藤の末裔)・歌人・僧。出家の身ではあったが、歌道に志が深く、たいへん執着していた。七、八十歳の老年になってまでも「私にどうぞ秀歌を詠ませてください」と祈るために、歌神として信仰されていた大坂の住吉大社までわざわざ徒歩で、毎月参詣していたという。実際の歌会のときも、とくに講師の席の近くに座って、歌の講評をひと言も聞き漏らすまいとするような態度で耳を傾けていた。

[生活感]
  山のはに雲のよこぎる宵のまは出でても月ぞなほ待たれける    新古今集
 *山の端に雲がたなびいている宵は、月が出ても満足できず、さらに月が出て
  くるのでは、と待たれる、という。独自の感覚。
  月のすむ空には雲もなかりけりうつりし水は氷へだてて       千載集
 *冬空と地表面の情景を対比させている。新鮮な感覚。
  みなと川夜ぶねこぎいづる追風に鹿のこゑさへ瀬戸わたるなり    千載集
[旅の感懐]
  月みればまづ都こそ恋しけれ待つらむとおもふ人はなけれど     千載集
[人生観]
  ちる花を身にかふばかり思へどもかなはで年の老いにけるかな    千載集
 *「花の散るかわりに我が身を差し出したいとまで思ってきたけれども、それも
  かなわないまま、年老いてしまったことよ。」
  いつとても身のうきことはかはらねど昔は老をなげきやはせし    千載集
  思ひわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり      千載集
 *「恋に思い悩んだり嘆いたり、それでも命はなんとか永らえられるが辛さに
  耐えきれないのは涙なのだ。」
  身につもる我がよの秋のふけぬれば月みてしもぞ物はかなしき    玉葉

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秋の月