平安・鎌倉期の僧侶歌人(12/17)
寂蓮(保延5年(1139年)? ~建仁2年(1202年))
三十代半ばで出家、後に諸国行脚の旅に出た(河内・大和などの歌枕、出雲大社、東国など)。歌道にも精進し、御子左家の中心歌人として活躍。「六百番歌合」での顕昭との「独鈷鎌首論争」は有名である。1201年(建仁元年)和歌所寄人となり、『新古今和歌集』の撰者となるが、完成を待たず翌1202年(建仁2年)没した。享年64。書家としても有名。
[注]独鈷鎌首論争: 六百番歌合のとき、僧顕昭が独鈷を手に持ち、僧寂蓮が
首を鎌首のようにもたげて論争したのを、左大将藤原良経家の女房たちが
「独鈷鎌首」とあだ名した。
六百番歌合: 鎌倉時代前期、12人の作者があらかじめ詠んでおいた 100
題の歌各人 100首,計 1200首を 600番の歌合とし,披講したもの。判者は
藤原俊成。
[生活感]
暮れて行く春の湊は知らねども霞に落つる宇治の柴舟 新古今集
さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮 新古今集
*西行、定家と並ぶ「三夕の和歌」として有名。
村雨の露も未だ干ぬ槇の葉に霧立ち昇る秋の夕暮 新古今集
鵜かひ舟高瀬さしこすほどなれや結ぼほれゆく篝火の影 新古今集
ふりそむる今朝だに人の待たれつる深山の里の雪の夕暮 新古今集
[旅の感懐]
葛城や高間のさくら咲きにけり立田のおくにかかるしら雲 新古今集
岩根ふみ峰の椎柴(しひしば)をりしきて雲に宿かる夕暮の空 千載集
*「岩を踏み越え、峰を登って来て日も暮れた。椎の小枝を折り敷いて、
雲の上に仮の寝床を作るのだ。」
やはらぐる光や空にみちぬらむ雲に分け入る千木(ちぎ)の片そぎ 夫木抄
*出雲大社に参拝した折の歌。千木の片そぎ:千木は屋根の両端の材木が棟で
交差して高く突き出した部分。
[人生観]
数ならぬ身はなき物になしはてつ誰(た)がためにかは世をも恨みむ 新古今集
*「物の数にも入らない我が身は、この世に存在しないものとして棄て果てた。
今はもう、誰のために世を恨んだりするだろうか。」