平安・鎌倉期の僧侶歌人(14/17)
頓阿(正応2年(1289年)~ 文中元年/応安5年(1372年))
若い頃に比叡山で篭居して天台教学を学び、その後高野山でも修行。20歳代後半に金蓮寺の真観に師事し時衆となった。東国・信州を行脚。西行を慕って諸国の史蹟を行脚、京都東山双林寺の西行の旧跡に草庵を構えるなど隠遁者の生活を送った。二条為世に師事して活躍、二条派(歌道)再興の祖とされ、20歳代で慶運・浄弁・吉田兼好とともに和歌四天王の一人とされた。地下(じげ)の歌人であり、歌壇での活躍は晩年であった。「新拾遺和歌集」撰進の際には撰者二条為明が選集の途中で亡くなったことから、頓阿がそれを引き継いで完成させたが、撰者となったのは76歳の時である。
[生活感]
惜しからぬ身をいたづらに捨てしより花は心にまかせてぞ見る 草庵集
しづかなる心だにこそ涼しきにわがすむ里は山風ぞ吹く 草庵集
*「心静かにいるだけで涼しいものだが、私がすむ里には山風がふいて、さらに
涼しい。」
つもれただ入りにし山の嶺の雪うき世にかへる道もなきまで 続千載集
思ひやる苔の下だにかなしきにふかくも雪のなほうづむかな 草庵集
*この歌には「雪のふる日、母の墓にまかりて」という序詞がついている。
跡しめて見ぬ世の春をしのぶかなその如月の花の下かげ 草庵集
*京都丸山公園の南にある双林寺の西行旧跡に草庵を構えた折の歌。西行を
偲んでいる。
いく里の夢のまくらを過ぎぬらむまだふかき夜の山ほととぎす 草庵集
[旅の感懐]
かぎりなき空もしられて富士のねの煙のうへにいづる月かげ 草庵集
関の戸のあくれば見えて足柄のやへ山とほくふれるしら雪 頓阿法師詠
雁の来る朝けの霧に嶺こえて思ひつきせぬ旅のそらかな 草庵集
隔てきてそなたと見ゆる山もなし雲のいづこか故郷の空 草庵集
[人生観]
憂き身には思ひ出ぞなき敷島の道に忘れぬ昔ならでは 続草庵集
*「つまらない我が身には思い出も無い。和歌の道に刻んだ昔のことだけは
忘れない。」