天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

平安・鎌倉期の僧侶歌人(15/17)

おわりに
 完成された古典和歌から受ける第一印象は、様式美である。もともと和歌の韻律形式が整っているのだが、取り上げる対象や修辞法が共有できるものであり、特異なものでなかったことに起因している。一方、近現代短歌になると、個性や新規性を発揮することが求められて、古典和歌では禁忌とされたような技法まで取り込むようになった。大雑把にまとめると次のようになる。当然のことながら近現代短歌は、古典和歌がカバーした領域・方法を内包している。

項目       古典和歌               近現代短歌
対象    自然(花鳥風月)、人事(相聞)   時事(災害、戦争)、病気、
                        スポーツ
      旅、宗教、地獄絵、伝説       ただごと、漫画・小説・映画
韻律    正調                初句七音、句割れ・句跨り
修辞    枕詞・序詞・掛詞・縁語       オノマトペ、副詞の工夫
      本歌取り、比喩・見立て、擬人法
言葉    大和言葉、文語           外来語(漢語、洋語)、口語               
表記    漢字まじりひらがな         カタカナ、アルファベット

いくつか注釈を加えておこう。歌に詠む対象として、古典和歌では、近現代短歌で常識となった「ただごと」は、あまり例がない。次の歌は、「ただこと歌」の先蹤と言えよう。
  夏ふかみ野原を行けば程もなく先立つ人の草がくれぬる      林葉集・俊恵
また時事詠も古典和歌ではまれであった。次にその例をあげる。
  木曾人は海のいかりをしづめかねて死出の山にも入りにけるかな  聞書集・西行
これは、木曾義仲が近江で戦死したことを知って詠んだ歌である。
 次は、「成り代り」と「虚構」について。前者は、事がおきた当事者に代って詠む場合で、古典和歌にはよく見られる。
  ちはやぶる神やきりけむつくからに千とせの坂もこえぬべらなり  古今集遍昭
これには、詞書「仁和のみかどの親王におはしましける時に、御をばの八十の賀に、しろがねを杖につくれりけるを見て、かの御をばに代はりてよみける」がついている。
対して近現代の「虚構」は、真実ではない作者の状況を歌にする場合である。例えば、寺山修司の歌集。一見自叙伝らしく思えるが、事実が詠まれているわけでない。
 次は、修辞法の「比喩」に関して。近現代短歌の特徴として「比喩」ことに暗喩が強調されることがあるが、古典和歌でも珍しいことではなかった。次の例。
  なぐさむる友なき宿の夕暮にあはれは残せ荻の上風    三百六十番歌合・寂蓮
ここで、「荻の上風」は、荻をざわめかせる風は擬人化され、訪問者の暗喩として用いられた。
直喩の用いられ方は、古典和歌ではおとなしく、近現代短歌において著しい。なお、古典和歌については、本文末に参考として、各種の事例をあげておいた。
 さてそれでは、未来短歌の課題としては、何が残っているであろうか? 近現代短歌では、重要視されていない「ただごと」歌を魅力あるものにすることがあろう。真実・事実のもつ驚きを伝える方法がほしい。次には、宇宙やAI(人工知能)を対象にすることである。宇宙については、近年の天文学の研究により、ダークマター重力レンズブラックホール など詳細が明らかになりつつある。AIについても、人間生活に密接に關係してきており、今後さまざまな体験をすることになる。

 なお歌の解釈(*印部分)に当たっては、WEBの
www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/100i/100i_b.html
www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tonna.html などを参照した。また添付の画像もWEBから借用した。

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吉野山 原爆碑 宇宙