時の移ろいー朝・昼・晩(1/4)
はじめに
今年の3月26日から5日間にわたって、「時を詠む」を連載したが、そこでは、文字通り「時」を入れた歌をみてきた。本シリーズでは、一日の時の移ろいを朝・昼・晩と区切った時の歌を集めた。それぞれの時刻の自然に感じる我々の感情に関心がある。典型例は清少納言の「枕草子」に見られる。全文の引用は省略するが、
春はあけぼの。・・夏は夜。・・秋は夕暮れ。・・冬はつとめて。・・
という名調子でよく知られている。
日本語は、時の移ろいの表現でも、他言語には見られない多様性を示す。
朝、明け方、あかつき、あけぼの、しののめ、つとめて
朝に関わる日本語には、ここにあげたように趣深いものがいくつかある。
あかつき: 夜明け、あけがた。太陽が昇る前の空が少しあかるくなり始める
頃を指す。「あかとき」が転じた語で、奈良時代には「あかとき」
と言い、平安時代から「あかつき」が用いられるようになった、
という。
あけぼの: 夜がほのぼのと明け始める頃。「あけ(明)」と「ほの(ぼの)」での
語構成。
しののめ: 東の空が明るくなる頃。漢字で「東雲」と書くのは、東の空の意味から
の当て字。語源は、「篠(しの)の目」。古代の住居では、篠竹の隙間
(目の部分)から朝の明りが差し込んできた。
つとめて: 早朝。
たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野
万葉集・中皇命
*「 たまきはる 」 は「うち(内)」「いのち(命)」「よ(代)」等にかかる枕詞。
意味は「宇智の大きい野に馬をならべて、朝の猟をしておいでであろう。その草
深い野に。」
雲もなくなぎたる朝の我なれやいとはれてのみ世をばへぬらむ
古今集・紀友則
*「厭はれて」は「いと晴れて(=とても晴れて)」の駄洒落。前半の穏やかさと
後半の恨み言(ただ嫌われて世を過ごすのだろう)の落差が胸に迫る。
このままに歩み行きたき思ひかな朝なかぞらに消ゆる雲見つ
高安国世
ありあけのつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし
古今集・壬生忠岑
*「有明の月が冷ややかでそっけなく見えた女との別れ以来、私には、夜明け前の暁
ほど憂鬱で辛く感じる時はない。」
暁となにかいひけむ別るればよひもいとこそわびしかりけれ
後撰集・紀貫之
みよし野のたかねの桜ちりにけりあらしも白き春のあけぼの
新古今集・後鳥羽院
忘れめやあふひを草にひき結びかりねの野辺の露のあけぼの
新古今集・式子内親王
*葵祭の夜、斎院として式子内親王が潔斎のため籠った日のことである。
夏の夜のふすかとすれば郭公(ほととぎす)なくひと声に明くるしののめ
古今集・紀貫之
横雲の風にわかるるしののめに山飛びこゆるはつ雁のこゑ
新古今集・西行
足柄の関路こえゆくしののめにひとむらかすむ浮島が原
新勅撰集・藤原良経
*浮島が原は、静岡県沼津市にある。現在は、「浮島ヶ原自然公園」として整備され、
湿地が保存されている。
しののめの渚にありてわが母のみ足洗ひゐしを夢と思はず
前川佐美雄