感情を詠むー「恨み」(2/6)
我ならぬ人すみの江の岸に出て難波のかたをうらみつるかな
後撰集・源整
*作者の源整について調べたが、詳細不明。歌の意味は、「私ではないが、
住吉の海岸に出て難波の方角に向かって恨み言を言っていたことだ。」となろう。
飛鳥川わが身ひとつの渕瀬ゆゑなべての世をもうらみつるかな
後撰集・読人しらず
*飛鳥川と渕瀬を詠むのは、和歌の慣習であったようだ。新古今和歌集986番の歌に
次のものがある。
(詞書)初瀬に詣でて歸さに飛鳥川のほとりに宿りて侍りける夜よみ侍りける
故郷へ帰らむことはあすか川わたらぬさきに淵瀬たがふな
素覚法師
ちなみに、飛鳥川は、奈良県中部を流れる長さ約 28kmの川で、飛鳥宮跡,古社寺
などのある古文化地帯を流れ、万葉集をはじめ多くの歌に詠まれている。
忘るとは恨みざらなむはしたかのとかへる山の椎はもみぢず
後撰集・読人しらず
*「はしたか」は、タカ科の鳥ハイタカのこと。雌は全長39センチくらい、雄は
全長32センチくらい。ユーラシアに分布。日本では低い山の林にすむ。
逢ふことのたえてしなくばなかなかに人をも身をも恨みざらまし
拾遺集・藤原朝忠
*「なかなかに」は、「かえって」とか「なまじっか」という意味。「人」は相手の
ことで、「身」は自分のこと。「恨みざらまし」は、「恨むことはしないだろうに」
という意味。歌を直訳すれば、「もし逢うことが絶対にないのならば、かえってあの
人のつれなさも、我が身の辛い運命も恨むことはしないのに。」となる。
君をなほうらみつるかなあまの刈る藻にすむ虫の名を忘れつつ
拾遺集・閑院大君
*閑院大君は平安時代中期の女流歌人。「あまの刈る藻にすむ虫の名」は、「われ
から」。
かずならぬ身は心だになからなむ思ひ知らずば怨みざるべく
拾遺集・読人しらず
*「取るに足らないこの身には、心さえもないでしょう。恋心もないので、怨むことも
ないでしょう。」本当は、恋しくて恨んでいる。
石見(いはみ)潟(がた)何かはつらき辛からばうらみがてらに来ても見よかし
拾遺集・読人しらず
*「何も言わないからといって、何がひどい仕打ちですか。辛いのならば恨がてらに、
いえ浦見がてらに来て見なさいよ。」