天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

感情を詠むー「恨み」(5/6)

  うらみじな難波のみ津にたつ烟こころから焼くあまの藻しほ火
                   新勅撰集・藤原雅経
*「あの人を恨むことはするまい。難波の湊に立つ煙が、海人がおのれの意思で
  焚く藻塩火から発するように、この咽ぶような苦しい思いは、ほかならぬ私の
  心から出たものなのだから。」「難波のみ津」は、難波の港。皇室の港だったこと
 から敬称が付いた。
 「藻しほ火」は、塩をとるために海藻を焼く火。この歌には次のような本歌がある。
  おしてるや難波の御津に焼く塩のからくも我は老いにけるかな
                   古今集・よみ人しらず
 「おしてるや」は、「難波」の枕詞。


  うらみてもわが身のかたに焼く塩のおもひはしるく立つけぶりかな
                   新勅撰集・藤原知家
*恨んでみても思いはさらに増してしてくる、という気持を比喩を交えて詠んだ。

 

  頼めつつこぬ夜つもりのうらみても待つより外のなぐさめぞなき
                   新勅撰集・平 忠度
*期待する夜と恨みがつもっても、ただ待つほか慰めようがない、という。

 

  こころからわが身こす浪うきしづみうらみてぞふる八重の潮風
                   新勅撰集・藤原家隆
* 文脈が定かでないが、うらむことで八重の潮風が揺れ動くほどだ、ということか。
 「八重の潮風」とは、はるか遠方の海路を吹いてくる風。

 

  いかにせむあまのさかてをうち返し恨みてもなほあかずもあるかな
                   新勅撰集・藤原俊成
*天の逆手は《古事記》や《伊勢物語》にも出る呪術の様式で、普通とは違った
 打ち方をする柏手のことらしい。このまじないで恨んでみたが、埒が明かなかった、
 という。恨んでもだめだったのだ。やりばのない恋心。

 

  なくなくも人を恨むと夢にみてうつつに袖をげにぬらしぬる
                    玉葉集・藤原為世
  をろかなる身を知りながら世の中の思ひにたへぬことぞうらむる
                        東 常縁
*東常縁(とうつねより)は、室町時代中期から戦国時代初期の武将・歌人
 古典学者。古今集の奥義をきわめ、弟子の宗祇に伝えたのが古今伝授の初め
 とされる。新勅撰和歌集は、鎌倉時代の第9勅撰和歌集で20巻からなる。
 歌風は平明質実。華麗な『新古今集』と対照的。

 

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藻塩焼く (webから)