五感の歌―視覚(1/3)
このシリーズでは、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五感を詠んだ作品を見ていく。
視覚の見る、視る、診るには、目を向けると会うという二種類がある。ここでは、積極的に見る、視る場合を取り上げる。なお、古くは「見る」こと自体、呪的な意味がこめられていたという。
よき人のよしとよく見てよしと言ひし芳野よく見よよき人よく見
万葉集・天武天皇
*天武天皇が、吉野離宮にお出ましになった時の御製歌。当時の吉野は霊力の
満ちた特殊な場所と考えられていて、吉野への行幸が盛んであった。
「昔の優れた人がよいところだとしてよく見て、「よい」と言った吉野をよく
見なさい。今の優れた人はよく見なさい。」
秋山に落つる黄葉(もみぢば)しましくはな散り乱(まが)ひそ妹があたり見む
万葉集・柿本人麿
*柿本人麿が、石見の国から奥さんと別れて都に旅立ったときの歌の一つ。
「秋山に落ちる紅葉よ、しばらくは散らないでおくれ。妻が居る方をもう少し
見ていたいから。」
われも見つ人にも告げむ葛飾の真間の手児名が奥津城処(おくつきどころ)
万葉集・山辺赤人
*葛飾の真間の手古奈伝説: 手古奈はうら若い乙女であったが、自分を求めて
二人の男が争うのを見て、罪の深さを感じたか、自ら命をたったという。
奥津城処は、彼女の墓所。
昔こそ外にも見しか吾妹子(わぎもこ)が奥つ城(き)と思へば愛(は)しき佐保山
万葉集・大伴家持
*佐保山は、奈良市佐保山町の佐保川北方に広がる丘陵地帯の総称で、西部の
佐紀山と合わせて平城山丘陵を形成する。周囲には聖武天皇ら皇族の陵墓が点在。
わが背子を吾が松原よ見渡せば海人をとめども玉藻刈る見ゆ
万葉集・三野連石守
*三野連石守は、大伴旅人の従者で、大宰帥大伴旅人が大納言に任ぜられて
帰京する際、別に海路をとって上京した。
「吾が大伴卿をお待ちする松原を見渡すと磯の娘たちが玉藻を刈っている
のが見える。」