天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

窓を詠む(1/5)

 窓は「目門(まと)」の意味。建物の壁や屋根に穴を開け、室内に明りや空気を入れるようにしたもの。
西洋文化からは、窓が象徴するものとして、➀空気、光、知識、幻視への出入り口 ➁理解、意思疎通、愛と死が入ってくるところ ➂意識 ④魂、精神への出入り口としての目など が挙げられている(アト・ド・フリース著『イメージシンボル辞典』大修館書店)。
 短歌に詠まれた窓について何を読み取るか。作者は窓を通して何を見たのか。窓に何を期待したのか。そこに作者の人生の一面が現れているはず。

 

  窓越しに月おし照りてあしひきの嵐吹く夜は君をしぞ思ふ
                    万葉集・作者未詳
*月が煌々と照っている嵐の夜を、窓越しに見ていると、君のことが
 ことさらに思われる。

 

  恋しくば夢にも人を見るべきに窓うつ雨に目をさましつつ
                   後拾遺集・大弐高遠
*恋しい時には、眠って夢にその人と会えるのに、窓をうつ雨の音で目が
 覚めてしまった。

 

  窓近き竹の葉すさぶ風の音にいとどみじかきうたたねの夢
                  新古今集式子内親王
*窓の外には竹林があって、風が荒れると竹の葉がざわめくので、うたたね
 の夢はたいへん短くなってしまう。

 

  さみだれの雲のたえまを眺めつつ窓より西に月を待つかな
                  新古今集荒木田氏
*窓からはさみだれの雲が途切れた空が見える。その西方に現れる月を
 待っているのだ。

 

  梅が香は枕にみちて鶯の声よりあくる窓のしののめ
                    風雅集・藤原爲兼
*窓から鶯の鳴き声で明ける朝の様子が見えるのだ。枕には梅の香が
 ただよっている。
 藤原爲兼(京極爲兼)は、鎌倉時代後期の歌人。歌風は客観的,写生的で,
 斬新な着眼のもの,知的傾向の著しいものもあり,京極歌風の典型。

 

  さよふくる窓の燈(ともしび)つくづくと影もしづけし我もしづけし
                  光厳院御集・光厳院
*窓の燈とは、窓の近くに置かれた高灯台の燈火と思われる。

 

  山深みまどのつれづれ訪ふものは色づきそむる黄櫨の立枝
                      山家集西行
*黄櫨(こうろ): ハゼノキの別名。ウルシ科の落葉高木。関東以西の
 暖地に自生。葉は4~6対の小葉からなる羽状複葉で、秋に紅葉する。

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ハゼノキ