天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

現代短歌の表現(4/5)―ひらがな

 ひらがな表記と旧仮名遣いの魅力・効果を活かした作品。和歌短歌の視覚的魅力は、ひらがな表記に現れる。作法のひとつとして、一首をすべてひらがなで書いてみるところから始める、という方法がある(小池光さん推奨)。ただ歌集『ポストの影』には、外国語(カタカナ語)と共存した作品は、さすがに少ない。ひらがなとカタカナの同居は、目で見て美しくないのである。
以下、赤字の部分に注意。
              
     あんず咲き二階に本読む夫のゐてはるのひぐれは嘉(よみ)されてゐむ
     「誰そ彼」と聞こえたやうな むらさきの五寸あやめが暮れてゆきたり
     ゆずすだちかぼすひきつれ冬が来るついでにうつつの凹凸も連れ
     やはらかきひかりなかに頬杖をつけば面映ゆき記憶がよぎる
     ことしまたみかんのせて炬燵ありわれらふたりの初冬の構図
     「じつとしてて」こどもの髪を切つてゐるこゑきこゆる隣の庭より
     青色(ブルーブラック)をスポイトに吸ふゆびさきの弾力ほのかゆふかげ
     のなか

     おのが重さ支へてひらく芍薬しんかんとして白のかがやき
     ゆふべの道に灯油のにほひ過りたりあなしづやかに冬が来てゐる
     能登産のころ柿は朱すきとほりふるさとびとの息の緒しまふ
     真つ暗がなくなつてしまつたと思ひしにむかしまつくらあしおとがする
     むらさきの小さな風車がささめくか鉢のヒヤシンスのかんさつ日記
     けふよりもあすが良くあるべしといふほんたうかしら 冬瓜を煮る
     「ビフテキ」はさびしきことば日本の貧の時代がにほひてゐるも
     豆を商ふ店にむらさきの花豆がしづかにつよくひかりてゐたり
     窓越しのいちやうわかばよばるるか珈琲の香りながれてゆきぬ
     みどりごの足うらの感触のごとき日がわれにもありて 鰯雲あかね
     この日ごろ身に近きものの隠れたり めがねつめきり、電子辞書、われ
     朝刊のにほひ、珈琲を挽くかをり、永遠にこの朝あると思はねど
     わたくしの夜のうしろに不連続の連続ありて街とほくなる
     ふくらめる鳩の胸腺いきぐるしおもおもと溜まりゆくものあらむ
     さくらの幹が冬のしぐれに濡れてをり愕然とするばかりに黒く
     一刷毛に描いたやうなほそき薄暮なかしろくひかり
     をととひあさつてわれが歩みをり春の来むかふ街川の辺を

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ヒヤシンス