天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

現代短歌の表現(5/5)―一字空け

 一字空け。それは取合せ・転換の妙・詩情の織り込みを明確に読者に意識させることになる。故に作者にとっては冒険であり、勇気を要する。歌会などでは、わざわざ一字空けしなくてもよいのではないか、という批評がよく聞かれる。
以下に歌集『ポストの影』より半数ばかり例をあげる。

     「誰そ彼」と聞こえたやうな むらさきの五寸あやめが暮れてゆきたり
     冬のひぐれの机上にありし封筒の白の清冽 それからのこと
     桐箱の真綿のうへに紅白の長生殿あり 金沢は雪
     生と死の間に老、病あることのふかき楔よ 梅雨が近づく
     地に落ちしあんずの腐りゆく時間 天球はるか子午線ありて
     けふよりもあすが良くあるべしといふほんたうかしら 冬瓜を煮る
     蒪菜と青菜の浸しに一番出汁うましとおもふ 夏椿咲く
     秋晴れの日本海の水平線 簡明なるわかれひとつありたり
     みどりごの足うらの感触のごとき日がわれにもありて 鰯雲あかね
     ああわれに忘れた昔とわすれないむかしがあつて 水がにほふも
     樟の木を涼しき風が吹きてをり なつかしきかな人生論は
     器械体操のことばなつかし 鉄棒に赤とんぼひとつふともとまりて
     母子手帳 鏡の中にをさなごがあそびぬ春の雪はふりつつ
     桃太郎の犬はいづこにゆきにしか 読みやりし日の明くかすみて
     お使ひの母の帰りをいもうとと待ちてゐたりき 今も待つ何か
     六月の薄暮にひかるシャンパンの細かき気泡 いまたれか去(い)ぬ
     炎昼に坂ころげゆく小石あり 他動的とはいたいたしけれ
     訪ひきたる若き巡査は防犯をやさしく説きぬ さびしい午後だ
     ほんたうにノンちやんは雲に乗つたかしら ただぼんやりと空を見てゐる
     巻貝のチョコレートパンを雨の日の放課後に買ひき 雨を視てゐる
     駅前の空に彩雲 すこしづついつもゐる人が遠くなりゆく
     耳底にいまも列車の汽笛あり ひとりの輪郭おぼろなれども

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赤とんぼ