天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

はかなし(1/6)

 「かりそめ」の歌を見ている時、「はかなし」の歌が気になったので調べてみた。古典和歌では、前者よりもはるかに多く詠まれていた。「はかなし」は、もともと予定した仕事の結果がうまくいかないことを言ったらしい。後に、とりとめない、むなしい、情けない、とるにたりない、などの意味に転じた。漢字の表記では、儚し、果無し、果敢無し など。
 日本人は、この世の物事が「かりそめ」だと認識した時、次に生じた感情が「はかなし」であったのだろう。「はかなさ」は夢を連想させた。夢とはかなさを結び付けた歌が大変多い。これらについては、すでに本ブログの「夢を詠う」のシリーズ(2018年1月9日―29日)でとりあげたので、このシリーズでは割愛する。

 

  ゆく水にかずかくよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり
                     古今集・読人しらず
*「水にかずかく(水に数書く)」とは、なんとも斬新な表現だが、すでに万葉集
    水の上に数書くごとき我が命妹に逢はむとうけひつるかも
 と出ている。さらにはその源は「涅槃経」にあるらしい。

 

  宵のまもはかなく見ゆる夏虫にまどひまされる恋もするかな
                      古今集・紀 友則
*「宵闇の間からも儚く見えるような夏虫よりももっと心が惑う恋をしている。」

 

  もみぢ葉を風に任せて見るよりもはかなきものは命なりけり
                      古今集大江千里
*「風に任せて見るよりも」が熟していない表現に感じられる。「風のふくままに散る
 紅葉を見ることよりも儚いものは命であることよ。」という意味だが。

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夏虫