小池光歌集『梨の花』(5/11)
■固有名詞の使い方 (人名は別に)
固有名詞の持つ文化的背景や語源、音韻の特性などが短歌一首の特性・特徴を支配する。作者の経歴、生活環境、教養などを知る手がかりともなる。時代が進むに従って世界文明が発展するので、固有名詞は爆発的に増えてゆく。国や都市、自然の地形、動植物、人工の施設、芸術、レクリエーション、身体と病気、職業・衣食住、歴史上の事物・思想 などの分野に固有名詞が分布する。以下にそれぞれについて例をあげよう。
タンク車はしづまりをれりペルシャ湾より運びてきたるあぶらを容れて
山形の置賜(おきたま)ごほりに知り人のひとりがをりて山の幸(さち)もらふ
思川(おもひがは)鉄橋わたる車中にて缶コーヒーのあたたかきを飲む
電車窓より過ぎ去りしソープランド「太閤」のネオンそれからの闇
駅まへのシャッター通りに流れゐる有線放送の童謡かなし
病名にむづかしきもの多くあり「慢性苔癬状(まんせいたいせんじやう)
日鉱審(ひかうしん)」
終曲に近づくゴレン・グールドの「ゴルトベルク」をわれは惜しまむ
『昭和陸軍全史』第三巻読みながらおほつごもりの夜はふけゆく
酒のまぬわれなれど時に身にしみぬ「酒場放浪記」の生きるよろこび
ムササビと会ひしモモンガ帽子とりごきげんいかがと言ひにけらずや
マダガスカルのバオバブの木に巣ごもれる鷺族(さぎぞく)家族をわが祝福す
わが家(いへ)の玄関前の敷石を尺取虫のすすむを見をり
をりをりにリップクリーム塗ることあり六十七歳のわがくちびるに
透きとほる「グレンフィディック」のいつぽんを長き月日をかけて空けたり
日露の役(えき)たたかひたりし祖父(おほちち)の軍用行李が押し入れに残る
遺品整理士、事件現場特殊清掃士等(とう)の資格ありたり世のつれづれに
サンスクリット語などに精通してをれる人の老後はいかにかあらむ