天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

小池光歌集『梨の花』(10/11)

         

■(一面的な)事実・真実をそのまま入れる
 短歌の入門時には、日記や記録のような事実はそのまま詠んでは歌にならない、と教わる。現在でも歌人の中には、こうした主張をする人たちはいる。だが、小池さんの作品を読むと、そうではない、一面的な事実・真実をそのまま詠んだものが随分多く、十分に感銘を与えるということを実感する。小池さんは「小池光短歌講座」において、次のようなことを述べている。
「科学的なことはすごく短歌になる。不思議なことが山ほどあって、歌にすると
 不思議な歌がいっぱいできる。」
「当たり前のことを当たり前に言い切ったとき、不思議なものがうまれる。」
「事実だけを述べて感想は言わない。」
以下に例歌をあげるが、固有名詞の魅力が大きいことを痛感する。

  林間のひとすぢの道車窓より一瞬みえて人あゆみをり
  紙をきる鋏に鼻毛きりたればまつしろき毛がまじりてゐたり
  アッツ島全滅のさま描きたる藤田嗣治スイスにて死す
  くらやみの庭に向かひて少年は西瓜の種を口より飛ばす
  北川辺(きたかはべ)産こしひかりの米買つてわが帰りゆくひとりの家に
  利根川渡良瀬川と合ふところ砂州ありて遠く白鷺が立つ
  イタリアの旅よりかへりし弟はさまざまな絵はがきなど呉れぬ
  介護付老人ホームの裏庭に木槿(むくげ)は咲きぬむらさき淡く
  春の日のあたたかき日の電車より喪服の夫婦降りてゆきたり
  新幹線喫煙ルームにのむたばこ小さき窓より富士のやま見ゆ

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利根川