天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

身体の部分を詠むー足(2/8)

 ここに挙げた一連は、いずれもすぐには理解できない。作者の感情の動きに追従できるだろうか。

  板の間に足指重ねて坐るとき不服従なるわれの姿よ
                      中城ふみ子
*板の間に正座して坐っているのだが、相手に対しては言うことをきかない姿勢であることを詠んでいるようだ。

  不貞不貞と畳の上に投げ出せし足といえどもせつなかりけん
                       山崎方代
*状況がよく分らない。上句は、不義密通をした自分の姿なのか、下句はそんな自分を憐れんでいるのか。はっきりしない。

  まだら陽に蕗の群落うごきをりかかるとき手足かぼそしわれは
                       森岡貞香
*上句の情景にあっては、下句の感覚は理解できる。自然と対比した自己の頼りなさを一例として詠んだのであろう。

  辿りつきたるみなもとに靴を脱ぎしばらくあれば足のさびしさ
                       片山貞美
*「みなもと」とは、水源のことか。そこにたどり着いて靴を脱いで足を見詰めていたらさびしくなった、という。

  夕日さすたたみの上にあわれなる五つひろがるわが足の指
                      岡部桂一郎
  かがまりて足の魚の目削りおりかかる夕べにわれ生れけん
                      岡部桂一郎
*夕べに足の魚の目を削っていて、自分が生まれた時刻を思っているのだろう。

  蛍とぶ暗き水の辺青草を踏み行く素足ありありと見ゆ
                       大野誠
*「暗き水の辺」なのに、「ありありと見ゆ」と言われても、直ぐには納得できない。

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