身体の部分を詠むー手(1/3)
「手」には、技術、腕前、筆跡、手段、部下などの広い意味があるが、ここでは身体の手を詠んだ作品をとりあげる。
目には見て手には取らえぬ月の内の楓(かつら)のごとき妹をいかにせむ
万葉集・湯原王
*四句までが妹に掛かる詞である。中国の伝説では、月の中に桂があるとされている。湯原王が旅先で出会った娘子に贈った恋歌の一首。
稲春(つ)けばかかる吾が手を今夜(こよひ)もか殿の若子(わくご)が取りて嘆かむ
万葉集・東歌
*「稲をつくので、ひびが切れる私の手をとって、今夜もお屋敷の若様が嘆きなさるでしょう。」
矢形(やかた)尾(を)の鷹を手に据(す)ゑ三島野に猟(か)らぬ日まねく月そ経にける
万葉集・大伴家持
*矢形尾の蒼鷹は名前を「大黒」といい、越中守であった家持が鷹狩の為に丹精込めて仕込んだ自慢の鷹であった。一首の意味は、「矢の形の尾を持った鷹を手に据えて、三島野で狩りができない日が長くて、月が経ってしまった。」
木綿畳(ゆふだたみ)手に取り持ちてかくだにもわれは祈(こ)ひなむ君に会はじかも
万葉集・大伴坂上郎女
*木綿畳: 木綿を折り畳んで幣としたことから「手向」にかかる枕詞。一首は
「木綿畳を手に取り持ってこれほどまで私はお祈りしているのにあの方に逢えないのではないでしょか。」という意味。
おもひ草葉末にむすぶ白露のたまたまきては手にもたまらず
金葉集・源俊 頼
*急にやって来て、泊まっていくこともしないですぐに帰ってしまった恋人を歌っている。つまり女性の立場で、後朝(きぬぎぬ)の気持を歌にした。