天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

北原白秋の新生(2/9)

『雲母集』の性格
 先ず白秋短歌における『雲母集』の位置づけを明らかにするため、第一歌集『桐の花』と生前最後の歌集『黒檜』からもそれぞれの巻頭歌を上げてみよう。白秋の場合、巻頭歌がその歌集の性格を代表していると思えるからである。
  春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外(と)の面(も)の草に日の入る夕
                          『桐の花』
  煌々(くわうくわう)と光りて動く山ひとつ押し傾(かたぶ)けて来る力はも
                          『雲母集』
  照る月の冷(ひえ)えさだかなるあかり戸に眼は凝(こ)らしつつ盲(し)ひてゆくなり
                            『黒檜』
 これら三首の特質を古典和歌のアナロジーで象徴するなら、順に古今集の雅、万葉集の野趣、新古今集の幽玄に対応させられる。
 春の鳥の歌は、明治四十一年七月の観潮楼歌会に出されたものだが、まことに都会的な洗練を経た繊細な歌である。照る月の歌は、白秋が終に到達した新幽玄の極地を示している。これらに対して、『雲母集』の巻頭歌は生命賛歌、光明礼賛がモチーフになっている。更に『雲母集』の性格を代表する歌をいくつかあげておこう。
  城ヶ島の女子(をなご)うららに裸となり見れば陰(ほと)出しよく寝たるかも
天真爛漫、古代神話の世界にあるような生命感である。
  桟橋にどかりと一本(いつぽん)大鮪放(はふ)り出されてありたり日暮(ひくれ)
三崎漁港は、今でも日本有数の鮪の揚げ場であるが、大正初年の野太い情趣が出ている。
  ふと見つけて難有きかもさ緑の野菜のかげの大きな片足
大きな片足という部分をクローズアップする造型感覚でシュールな情景にしている。
  森羅(もの)万象(なべて)寝しづみ紅(あか)きもろこしの房のみ動く醒めにけらしも
幽玄といえる自然の景物との一体感、アニミズムが感受される。

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城ヶ島    三崎漁港