北原白秋の新生(4/9)
梁塵秘抄と閑吟集(続)
次に『閑吟集』からの摂取がある。『閑吟集』は、周知のように室町時代の小歌集で、永正十五年八月の頃に出た。洗練された構成で、小歌節にのりやすい七五調を連ねた長短自在な様式が多い。『雲母集』の例として、『閑吟集』にある “ 人の心は知られずや 真実 心は知られずや ” のしんじつを取り入れた次のような歌がある。
生めよ殖(ふ)えよしんじつ食(くら)ひいきいきと生(いき)のいのちに相触れよ豚よ
五郎作よしんじつ不慇(ふびん)と思ふならば豚を豚として転(ころ)がして置け
目の前にしんじつかかる一本(いつぽん)の青木立てりと知らざりしかな
『閑吟集』の影響は、同時期の詩の方に更に顕著である。「真珠抄」永日礼賛に、
滴るものは日のしづく静かにたまる眼の涙
人間なれば堪へがたし真実一人は堪へがたし
珍らしや寂しや人間のつく息
真実寂しき花ゆゑに一輪草とは申すなり
・・・・・・・ ・・・・・・
などと詠われる。以下は馬場あき子の分析。
『梁塵秘抄』から『閑吟集』への過程において、日本語はもっとも美しく洗練された日常語を持ち、歌謡の世界にはそういう日常語が生きている。白秋がもっとも多く試作したのは七五律であるが、この今様の伝統を保つ律は、謡いもののもっとも基本的な律として、優雅な落着きと甘美な哀愁をにじませるのに適し、緩やかな律動感は陶酔的抒情をもっている。『雲母集』と同時期に制作された『真珠抄』(短唱と短歌)詩集『白金之独楽』(詩集)の中で、白秋の七五律は一つの到達点を迎えた(馬場あき子)。
白秋における短歌と詩、歌謡とは素材と修辞の面で密接に関連している。三崎時代の大正二年に制作・発表された歌謡に、“雨はふるふる城ヶ島の磯に 利休鼠の雨がふる::”の歌詞でよく知られた「城ヶ島の雨」、がある。遊ヶ崎の浜辺に石碑が立っているが、「城ヶ島の雨」と関連する修辞は、歌集にも詩集にも出てくる。例えば、『雲母集』では、「澪の雨」一連があり、次のような歌がある。
しみじみと海に雨ふり澪(みを)の雨利休鼠となりてけるかも