食のうたー米、飯、ごはん(1/6)
衣食住のうちの食を詠んだ歌に注目してみよう。ただし、個々の食品をとりあげるときりがないので、基本的なものにかぎる。先ずは米、麦、飯について。飯は米や麦を蒸したもの。飯(いひ)の「い」は接頭語、「ひ」は霊力を表す。たべることによって力となる。
家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
味(うま)飯を水に醸(か)み成しわが待ちし代(かひ)はかつて無し直(ただ)にしあらねば
万葉集・作者未詳
*直訳は、「美味しいご飯で酒を造り、あなたと一緒に飲むのを楽しみに待っていたのに、その甲斐は全くありませんでした。あなたご自身が来られたのではなかったのですから。」
歌の背景がややこしい。別れた夫が恋しくて、酒を造って待っていたのに、男は別の女を娶って来れずお土産だけが届いた。それを恨んで元の娘が詠んだ、という。
しなてるや片岡山に飯に飢ゑてふせる旅人あはれ親なし
*聖徳太子と飢えた人が大和国葛城(奈良県北葛城郡王寺町)の片岡山で遭遇する伝説を踏む。
飯乞ふとわが来しかども春の野に菫摘みつつ時をへにけり
*乞食に出てきたのだが、春の野に咲く美しい菫に魅せられて、それを摘むことに時間をとられてしまったのだ。いかにも良寛らしい。
牛飼の子等に食はせと天地の神の盛(も)りおける麦飯(むぎいひ)の山
平賀元義
*平賀元義は、幕末期岡山の国学者、歌人、書家。本人は余技とした万葉調の和歌が正岡子規に評価され世に広く知られることになった。この歌の「麦飯の山」は、岡山県玉野市槌ヶ原にある山で、麦飯山(むぎいさん)と呼ばれる。この山の名称ならびに形状から、国土創生の神に思いを馳せて詠んだ。
ひたすらに病癒えなとおもへども悲しきときは飯盛りにけり
長塚 節
われ二十六歳歌をつくりて飯に代ふ世にもわびしきなりはひをする
吾(われ)と嬬(つま)は寒き朝あけ飯くふと火鉢のふちに卵わりをり
結城哀草果