[秋(続)]
実を終へし糸瓜(へちま)なれども大き葉はせいせいと三日の雨をよろこぶ
*糸瓜はいろいろな部分が我々の役に立つ。ヘチマ水は化粧水に、円筒形の果実はヘチマたわしに、種は食用に、大きな葉は緑蔭に、などである。この歌は、そんな糸瓜へのエールであろう。
顔いろの悪いようなるグレープフルーツいつもどこかをへこませている
花山多佳子
ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも
*大根の葉を食の対象とみて下句の感情(寂しい)が湧いたのかどうか。そうした鑑賞は見たことはないが、面白そうだ。本の作者(道浦母都子)は、食べ物として大根を取り上げた際に、この有名歌を視覚的な一首として引いたにすぎない。
花のごとく開くいくひら酢の中に牡蠣(かき)死なしめて一人の夕餉
富小路禎子
*生の牡蠣を酢につけて食べるいわゆる酢牡蛎であろう。下句がなんとも残酷で寂しく響く。作者は敗戦で没落した旧華族の娘で、旅館の女中や会社勤めをしながら生涯独身であった。
王禅寺に仰ぎてをれば青柿が念力ゆるみたるごと落ちぬ
今野寿美
*王禅寺は、川崎市麻生区にある真言宗豊山派の寺院。日本最古の甘柿の品種と言われている禅寺丸が鎌倉時代前期(1214年)に発見された寺として有名。
口移されしぬるきワインがひたひたとわれを隈なく発光させゐる