天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

歌集『近景』に見る旅行詠

 大森浄子さんの第三歌集になる『近景』(角川書店)が十月に刊行された。全体として平穏な日常生活が詠まれていて、平和な日本が実感できる。中でも惹かれたのは旅行詠である。日本国内はもちろんのこと、海外(ハンガリーバルカン半島、イタリア、インドなど)にも出かけられている。

以下にいくつか例をあげよう。

       「東方の旅」から

  東方のかをり漂ふイシュトヴァーン大聖堂に去りがたくをり

*この大聖堂は、カトリック教会でハンガリーの首都ブダペストにある。

 

       「みづうみ」から

  人麻呂がすでに荒れしと悲しみし大津京あと知らず過ぎたり

 

       「島国びと」から

  あざやかな黄色いビルに記者OB聖地見るごとざわめきてをり

サラエボ内戦中に世界中の記者を受け入れたホテルに来ての詠。

 

       「葡萄とインド」から

  十ルピーで買ひし小魚(こうを)をガンガーの水面に放つ報謝のきもち

*ガンジス河の岸辺でのこと。

 

       「塩ひとつまみ」から

  サン・マルコ寺院の鳩ら鳩の怖いわたしを囲み輪をせばめくる

サン・マルコ寺院は、イタリアの州都ヴェネツィアで最も有名な大聖堂。

 

       「ジャカランダ行」から

  山火事のにほひ嗅ぎつけ空を見るガイドはいつものことですと言ふ

ジャカランダは、キリモドキ属 ノウゼンカズラ科の低高木。オーストラリアの都市をめぐった時の詠。

 

       「おわら風の盆」から

  編み笠に顔をかくして腰おとす男をどりに従きて行きたり

おわら風の盆は、富山県を代表する行事。越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって、無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露する。

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歌集『近景』(角川書店