天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

師走、年の暮(1/2)

 師走の語源には、いくつかの説があるが、師匠である僧侶が、お経をあげるために東西を馳せる月という意味の「師馳す(しはす)」だというものが有力とされる。(平安末期の「色葉字類抄」の説明では民間語源とされる。)十二月は万葉集のころから「シハス」と呼ばれていた(下の例歌を参照)。

 以下では、「師走」「年の暮」という言葉を使った作品を集めてみた。

 

     病む師走わが道或はあやまつや     石田波郷

     建長寺さまの托鉢来て師走       宮下翠舟

     うすうすと紺のぼりたる師走空     飯田龍太

     外湯出てすぐに師走の山仕事      大島民郎

     大黒の小槌の塵も師走かな       加藤耕子

     機関車を磨きあげたる師走かな    大久保重信

     年暮ぬ笠きて草鞋(わらぢ)はきながら    芭蕉

     灯の鋲(びやう)の東京タワー年の暮   鷹羽狩行

     はらわたの紆余曲折を年の暮      中原道夫

     出歩きて無用の用や年の暮       山崎房子

 

  十二月(しはす)には沫雪降ると知らぬかも梅の花咲く含(ふふ)めらずして

                   万葉集・紀少鹿女郎

*「十二月には淡雪が降るということを知らないのでしょうか。梅の花が咲き始めています。つぼみのままではいないで。」 cf1

 

  昔おもふ庭にうき木をつみ置きて見し世にも似ぬ年の暮かな

                     新古今集西行

*「ありし日を思わせる庭に浮き木を積み置いてみて、かつて見た世に似るでもない老いた自分の迎えるこの年の暮れをただ思い知るばかりだ。」 cf2

 

  いそがれぬ年のくれこそあはれなれ昔はよそに聞きし春かは

                   新古今集・藤原実房

*「正月を迎える支度に急かされることもない――そんな年の暮というのは、あわれなものだ。昔はこんなふうに、春の訪れをよそごとのように聞いただろうか。」 cf3

 

  隔てゆくよよの面影かきくらし雪とふりぬる年のくれかな

                  新古今集藤原俊成女

*「こうして過ぎ去り、積み重なってゆく歳月が、その時代時代の懐かしい面影を私からさらに遠く隔ててゆき、雪が空をいちめん曇らせて降るように茫々と見えなくしてしまう、年の暮れであるよ。」 cf4

 

  思ひやれ八十(やそぢ)の年の暮なればいかばかりかは物はかなしき

                    新古今集・小侍従

*「思いやってもください、今年は八十もの齢を重ねた年の暮れなのですから わたしのものがなしさはいったいどのようなものであるかを。」 cf5

 

[注]作品の解釈に当っては、WEB上の次のような箇所を参照・引用した。

 (cf1) https://art-tags.net/manyo/eight/m1648.html

 (cf2) https://ameblo.jp/waka-kajima/entry-11761061155.html

 (cf3) 千人万首 AsahiNet

 (cf4) 千人万首 AsahiNet

 (cf5) https://k-sako.hatenablog.com/entry/20151001

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大黒の小槌