罪を詠む(2/3)
古典和歌では、罪を詠んだのは僧侶に多く、釋教歌になっている。
繰返しわが身のとがを求むれば君もなき世にめぐるなりけり
行尊
*「繰り返し我が身の罪業を探し求めると、それは君の亡くなった世にいつまでも生き長らえていることであった。」
行尊: 平安時代後期の天台宗の僧・歌人。平等院大僧正とも呼ばれる。
思ひやる嵯峨野の春の雪にもや消えける罪のほどは見ゆらむ
*新葉和歌集: 南北朝時代の私撰集(宗良親王撰)。勅撰集に準じられた。
罪はしも露ものこらず消えぬらむ長き夜すがら悔ゆるおもひに
金葉和歌集・覚誉(かくよ)
*金葉和歌集: 平安時代後期に編纂された勅撰和歌集(『後拾遺和歌集』の後、『詞花和歌集』の前)。覚誉は、戦国時代の僧。興福寺一乗院の門跡。
命をも罪をも露にたとへけり消えばともにや消えむとすらむ
金葉和歌集・覚樹
*覚樹: 東大寺の僧侶。
我が為につらき人をばおきながら何のつみなき世をや恨みむ
詞花集・浄蔵
*「わたくしにとって冷たい人を、遠くはなれた京に置きながら、どうして罪のない世間を恨んだりできましょうか。」
その中にありしにもあらずなれる身を知らばや何の罪の報(むく)いと