仏を詠む(1/6)
仏の意味を「世界大百科事典 第2版の解説」から以下に引用しておく。
サンスクリットbuddhaの音訳〈仏陀〉の略語で,〈如来〉の語とともに仏陀を指す普遍的な用語である。したがって仏陀の教説が仏教であり,仏陀の像が仏像である。この意味では仏は仏教を指す場合もある。まずbuddha(〈仏陀〉)は目を覚ます,悟るという動詞budhの過去分詞で〈覚れる者〉〈覚者〉の意味である。そしてその覚の内容が菩提であり正覚と訳される。この仏が如(によ)(真理)から来たという意味で如来とよばれ,供養されるべき尊い者の意味では応供(おうぐ)ともよばれる。
仏造る真朱(まそほ)足らずは水たまる池田の朝臣(あそ)が鼻の上を掘れ
万葉集・大神奥守
*真朱は仏像などを彩色するとき用いる赤の顔料で、丹砂、朱砂のこと。「水たまる」は池の枕詞。「仏像を造るための真朱が足りないのなら、池田の鼻の上でも掘ればいい。」
池田の朝臣の鼻は特別に赤かったのだ。
よそになど仏のみちをたづねけむ我が心こそしるべなりけれ
詞花集・藤原忠道
仏には桜の花をたてまつれわがのちの世を人とぶらはば
千載集・西行
*「仏になった私を尋ねてくれる人がいたら桜の花を奉ってほしい。」
南無阿弥陀仏の御手にかくる糸のをはり乱れぬ心ともがな
新古今集・法円
*「「南無阿弥陀仏」と名号を唱えて、阿弥陀仏の御手にかける五色の糸が乱れないように、臨終の時に、とり乱さない心でありたいものだ。」
有漏(うろ)よりも無漏(むろ)に入りぬる道なればこれぞ仏のみもとなるべき
風雅集・後白河天皇
*「有漏(うろ。煩悩のある状態)から無漏(むろ。煩悩のない境地)に入る道であるので、こここそ仏の身許であるにちがいない。」
草木まで仏のたねと聞きつればこの道ならむことも頼もし
新勅撰集・深観
*「草木に至るまで仏果の種は結ぶと聞いたので、私のこの修道も実を結ぶだろうと頼もしく思われる。」
薪(たきぎ)とり水くみはこぶ橋はあれど仏のみちにわたさぬぞうき
清水宗川